瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(116)

 昨日の続き。
 加太こうじ『紙芝居昭和史』の回想は、【A】時期を1年遡らせれば、どうもほぼその通りのことはあったもののようです。【B】暴行殺人事件については、大宅氏の記述からやはりそういう噂のあったことを確認して置けば良いでしょう。1月30日付(100)に「私とて加太氏の記述は奇怪だと思っていますが」と書いてしまったのですが、こう分かってみると時期の修正さえ出来ればそんなに可笑しな記述ではなかったのではないか、と思えて来るから不思議なものです。1月28日付(98)でも「加太氏説は時期に錯誤があるとしか思えないのですけれども」とした上で「他の文献との整合性という点から加太氏説への疑惑が確定的となった以上」などと書いていたのですが、大阪の新聞記事を見出してしまうと確かに整合性の点でも問題はないのです。私たちは自分の知識からその都度判断を下すしかなくて、それは結論ではなくて仮説なのですけれども、往々にして先入観になってその後追加された、仮説に合致しない材料まで強引に仮説に当て嵌めて解釈してしまうようなことにもなる訳です。
 けれども、判断ミスをしたについては、開き直るようですが【A】に限らない細かな疑問点が存在していたのです。
 まず紙芝居の内容について、芥川龍之介杜子春」を踏まえているというのはその通りですが、加太氏の回想はかなり美化されていると云うべきでしょう。
 加太氏の回想から想像される粗筋について、1月27日付(97)に言及したものの引用しなかった、物集高音『赤きマント』31頁上段9行め〜下段に示されているものを参考までに引いて置きましょう。原文は2字下げです。

 あるところに貧しい少年があった。父は病気/がちだった。妹はまだ幼かった。少年は二人を/養わなくてはならなかった。少年は靴磨きにな/った。朝日の下で、電灯の下で、少年は日夜街/頭に立った。紳士の短靴。軍人さんの長靴。は*1/た美しいご婦人のヒール。一生懸命に磨いた。/心を込めて拭いた。そんなある日の事だった。/大層立派な靴が差し出された。夜会へ行こうと/云うのか。観劇に向かおうとしているのか。少/【上段】年は顔を上げた。持ち主を仰いだ。大変富貴そ*2/うな紳士だった。真っ赤なマントを羽織った。/シルクハットを被った。紳士が少年を見据え/た。優しく語り掛けた。
「靴磨きの少年よ、お前はなかなか心根がよ/い。就いては我輩の弟子にしたいと思うが、お*3/前に魔法使いになる気はあるか? 修業は厳し/いが付いて来られるか?」
 少年は日頃、父や妹に楽をさせたいと願って/いた。自分の勉強をしたいと欲していた。だか/ら少年は紳士に頷いた。申し出に応と返した。/不意と紳士はマントを広げた。宙へ浮かせた。/少年に乗れと合図した。二人は天高く飛んだ。/広い街路が小さくなった。高いビルヂングも縮/んで行った。町が玩具箱のようになった。絵の*4/ように滲んで行った。そうして少年と魔法使い*5/は……。


 私はこの物集氏の粗筋に全く同意する訳ではありませんが、これなら加太氏の云うように、こんな「紙芝居屋のやる紙芝居としてはもっともまじめで教育的な作品」を「警察が手柄をあげるため」に「単に画面だけ」から「デマの原因」として「デッチあげ」た、とんでもない「いいがかり」と云うことになりそうです。
 しかしながら、物集氏の述べた部分はほんの発端と云うべきで、芥川龍之介杜子春」にはこの続きがあるので、そちらの方が、煽って翌日に興味を繋げる紙芝居の演出法に適した、エゲツない展開になっている訳です。新聞記事は、加太氏が綺麗サッパリ忘れていた「内容」の問題点に、当然のことながら触れています。
 そこで次に、新聞記事に芥川龍之介杜子春」を参照しつつ、この紙芝居「不思議の國」の筋を復元して見ようと思うのです。(以下続稿)

*1:ルビ「ちようか」。

*2:ルビ「あお・ふうき」。

*3:ルビ「つ」。

*4:ルビ「おもちや」。

*5:ルビ「にじ」。