瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(216)

・朝里樹『日本現代怪異事典』(4)
 早速、朝倉喬司「「学校の怪談」はなぜ血の色を好むのか?」=「「学校の怪談」はなぜ血の色が好きなのか?」=「トイレの花子さんはなぜ死んだ?」の載っている雑誌か本を借りて来て、朝倉氏の説を再検討したいところなのだけれども、今、通勤の序でに立ち寄れる図書館は勤務先の市立図書館くらいしかないので、わざわざ大回りして都内に出ないといけない。運賃も発生するので、必ず返却期限に合わせて出掛けることになる。と云う次第で朝倉氏説の再検討は来週以降に果たすことにして、今回は「赤マント」項の「発生の背景」の諸説、主要なものは昨日一昨日引いた2つですが、その他大勢として列挙されている説を眺めて置きましょう。27頁上段5~14行め、

 他にも同年に起きた「阿部定事件」が元/になっているという説や、当時の子どもた/ちの憲兵隊に対する潜在的な恐怖が怪人を/生んだという説、紙芝居の「赤マント」と/いう作品が元となった説、江戸川乱歩の『怪/人二十面相』が元となった説など、さまざ/まな情報がある。ただしどれが正しいとは/現段階では正確なことは言えず、複数の要/因が重なり合って赤マントという怪異を生/み出した可能性も十分にあり得る。*1


 昭和11年(1936)5月の阿部定事件に関連付ける説は、2014年2月20日付(120)に取り上げたPHP文庫『都市伝説王』に由来するもののようで、2013年12月20日付(60)に取り上げた唐沢俊一『スコ怖スポット』も殆ど断定的と云って良いくらい、この説を主張しています。
 憲兵隊への恐怖、と云う説はこれまで私の探索には引っ掛かっていませんけれど、憲兵隊が赤マントを主たるコスチュームにしていたのならともかく、そんな話も聞きませんので、どう云う関連付けでこのような説が成立したのか、よく分かりません。流言当時、取り沙汰されていたのは共産党の「赤」に対する恐怖を教師から吹き込まれて、児童生徒にパニックを起こしたのではないか、と云う説明でした。
 『怪人二十面相』説は、中村希明『怪談の心理学』にあるようです。しかしながら、中村氏の説は2014年1月3日付(73)から2014年1月8日付(78)まで、検討しましたが例によって別の確認作業に転じてしまい「怪人二十面相」の辺りをまだ取り上げておりませんでした。当ブログでは2013年12月17日付(57)に引いた八本正幸「怪人二十面相の正体」を取り上げたのみです。これは種村季弘「蘆原将軍考」の示唆に拠るもののようですが、種村氏の記述は「怪人赤いマント」は「ジゴマや怪人二十面相黄金バットと混淆したイメージで語られていたように思う」と云った程度で、むしろ(恐らく朝倉氏の説によって昭和11年と云う時期を刷り込まれてしまった)八本氏の方が積極的に関連付けたがっているように見えます。しかし種村氏の「イメージ」には注意して置いて良いでしょう。
 池内紀『悪魔の話』も2013年12月13日付(53)に見たように『怪人二十面相』説と云って良いような書きぶりですが、池内氏は加太こうじ『紙芝居昭和史』の紙芝居説を参照し、加太氏の挿絵「赤マント」に描かれる「シルクハットの紳士」から『怪人二十面相』を想起しています。私は紙芝居説が、時期を1年間違えて回想しているものの、昭和14年(1939)7月上旬に、大阪での赤マント流言の原因として実際に警察が紙芝居「不思議の国」を押収したこと、そしてJOBKのラジオ放送で事実無根の流言である旨、アナウンスされたことを突き止めておりますが、しかしここで気になるのは紙芝居の題が「赤マント」とされていることで、これはどうも、加太氏が問題の紙芝居の「題名はわすれたが」としているのを見落として、挿絵のキャプションを「赤マント」としているのを題名と早合点してしまったものらしいのです。
 さて、私もまだ、昭和14年(1939)2月の東京での流言発生について、確かなことが云えるところにまでは至っておりません*2が、これら「さまざまな」説のうちの「どれが正しいか」の検討は、2014年にはほぼ済ませていました。しかし残念ながら朝里氏の蒐集した「情報」の内には入らなかったようです。いえ、正直なところ、私の面倒臭い研究がまだ何ともなっていない前に、商業出版で、かつ、どこまで自身で解明したのか少々曖昧な書き振りで取り上げられなくて、本当に良かったと思っているのですけれども。(以下続稿)

*1:ルビ「あべさだ・えどがわらんぽ」。

*2:加太氏の紙芝居が東京でも流言発生の原因になったかどうか、私は懐疑的です。