・一柳廣孝 監修『知っておきたい 世界の幽霊・妖怪・都市伝説』(2)
4月9日付(129)の続き。
それでは、まず156頁「警察も巻き込んだトイレ騒動」から内容を検討して見ましょう。
赤マント・青マントは、少しずつその姿に違いがあるが、/全国の小中学校のトイレに現れる現代の妖怪である。マントを身に/つけた怪人のような姿をしているとも、姿は見えず声だけの妖怪であるともいわれている。
この書き方ですと「マントを身につけ」ていること=「怪人」という扱い、のように読めますが、確かに今時マントを着ている人なんていないのです。
諸説あるうちの多くは、学校のトイレに入ろうとすると、マントを着た男の人がいて(あるい/は声だけがして)、「赤マントがほしいか、青マントがほしいか」と聞いてくる。「赤マントがほしい」/と答えるとナイフで刺されて血だらけになって死んでしまい、「青マントがほしい」と答えると体の/血を全て抜かれて真っ青になって死んでしまうというものだ。
これが2段落めで、1月12日付(82)に引いた『現代民話考』に載る塩原恒子の報告に、小異はありますが同じパターンです。
3段落め、
この現代怪談の特徴は、子供たちだけでなく、大人も遭遇するという点である。「赤マントがほし/いか、青マントがほしいか」という声を聞いた子供が急いで先生を呼んでくると、先生の耳にもしっ/かりと聞こえてくるそうだ。声を聞いた先生が警察官を呼ぶという話もある。この場合は警察官にも/声は聞こえ、警察官までも殺されてしまう。
ここは何だか文章が変です。そもそも「赤マント」と答えても「青マント」と答えても殺されてしまうなら、死体は発見されても殺された人物は自分が最後に何を聞いたのか説明出来ないのですから、誰がその問掛けがあったことを聞いていたのか、という問題が生じます。……まぁそこは、そもそもが不自然極まる話なのですから大目に見て置くべきなのでしょうけれども、そこで、声を聞いて逃げるという、実際にありそうな展開も出て来る訳です。このパターンだと、妙な問掛けがある、ということを事実(?)として提示し得るので、その後の殺人について、被害者がどういう状況にあったのか、の辻褄は付けやすくはなります。しかしこの場合、オチによって明かされるまで、声の主が何をするつもりなのか誰も分かっていない、という設定になっていないと、次に展開させられない筈なのです。それで、「子供」は逃げ「先生」も「声を聞いた」だけの筈ですから、殺害されたのは「警察官」だけです*1。それだのに「警察官までも」としているのは、ここの執筆者は「赤マント」もしくは「青マント」と答えて殺された、という別のパターンと混同してしまっている訳です。
ヴァリエーションというのは、大抵は集団ごと――学校ごと、或いは学校内でもある学年、ある部活、ある友達仲間、といった集団ごとに違うもので、たまに異説を勘案して合理化させようと努力する変り者も登場しますが、まずは最初に聞かされた説が自分にとっての正しい説であり、後から知った説明は、自分とは別の集団が伝承している「一説」という扱いになります。2段落めの例と3段落めの例の関係がまさにそれで、この2つは別箇の話として扱うべきで、断片ならともかく首尾の整ったある程度の長さと内容のある話であれば、どうしても両立し得ない矛盾が出てくるのが普通です。それを混ぜて辻褄を合わせようとしても(この本の場合は恐らく単なる不注意で、そこまでやっているとは思えませんが)、おかしなことになるだけなのです。いえ、個人がふと思い付いてそんな風にするのは、そうすることでこの手の話に増殖する力を与えているので、私は好きではありませんが、咎め立てすべきことではないでしょう。
けれども、概説書の類でこのような書き方をされると、やはりもう少し注意して扱って欲しいと思ってしまうのです。
さらに問題があるのはこの頁の締括りの1行、4段落めです。
子供たちの思い込みや噂話だけで済まされない点が恐ろしい。
怪異の呼び掛けに上手く答えられなかった者が殺され、上手く対処した者が助かる、と云うのは昔話以来の定型です。子供もそのことを承知しているので、実際に赤マントに殺されたという事件があったのか、等といった無駄な調査をしようとする者は出て来ません。ところが、この一文を読むと、実際に確かめた「先生」や殺された「警察官」が出た、実に「恐ろしい」事件があったかのように、読めてしまいます。
いえ、流石に、そこまで可笑しなつもりではないだろうと思うのです。だとすると、子供の馬鹿げた「思い込みや噂話」の筈だのに「大人も」巻き込まれて「遭遇」している辺りが「恐ろしい」、という理屈になるのでしょうか。(以下続稿)
*1:そうでなかったら警察の面々は学校便所に於ける児童・教師殺人事件の捜査のために大挙して来ている筈ですから。