瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅間山の昭和22年噴火(10)

毎日新聞(3)
・昭和22年8月17日(日曜日) 第25563号  6版
 記事が11段あるうちの10〜11段め。

  浅間更に五名搜索
【小諸発】浅間山の爆発で頂上附/近で発見された四人の燒死体以外/に軽井沢町沓掛土屋酉藏(一■)東京/都向島区吾妻町一二下田紱行(一五)/10段め》同下田稔(二■)佐野啓(二■)滝紱次郎/(二五)の一行五名が登つたまま消息/がないので十六日これらの家族と/軽井沢町消防團員七十名の搜索隊/が向つた


 5名中4名の名前は16日付記事で報じられていました。少年が2人含まれている5人連れですので、既に発見されている4名の死体とは別だと云う訳です。うち2名は16日付記事に名前が挙がっていた中沢兄弟として、残る2名は「桑子と名が書いてあ」る「水筒」を「所持していた」のですから、10月2日付(3)に引いた「朝日新聞」8月15日付の第一報に見えていた、負傷しながら下山した浅沼氏の連れの、下山しなかった2人でしょう。しかしながらこの2人について「毎日新聞」は結局、氏名住所等を報じませんでした。
 なお、下田氏の住所が16日付記事では「墨田区吾嬬町一二」だったのが、この17日付記事では「東京都向島区吾妻町一二」となっていますが、東京府南葛飾郡吾嬬町が昭和7年(1932)10月1日東京市編入されて東京市向島區となり、昭和22年(1947)3月15日に本所区と合併して墨田区となりました。ここは誤って5ヶ月前までの行政区画を示してしまった訳です。(以下続稿)