瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅間山の昭和22年噴火(5)

 10月1日付(2)からの続きで朝日新聞縮刷版」昭和二十二年八月號に載る、昭和22年(1947)8月14日の浅間山の噴火の最後の記事について。なお、これら縮刷版に採られているのは全て「4版」です。
 紹介の要領は一昨日・昨日に同じです。
・昭和22年(1947年)8月19日 火曜日 第22074号
 縮刷版38頁の10段め、

 浅間の七死体收容
【軽井沢発】浅間山爆発の犠牲者/十名のうち、山頂に残された下田/稔君(二五)ほか六名の死体收容のた/め、十八日伊藤軽井沢警察署長以/下署員十一名、同町警防團四十二/名、遺族十一名は午前五時峰の茶/屋を出発、鳴動やまぬ噴火口一帶/に決死的捜査を行い、同九時半無/事峰の茶屋に七死体をおろした各/遺族に渡した、氏名は左の通り
 東京都世田谷区玉川奥沢町一ノ/ 二三九中沢質郎(三七)(中島賢郎/
 は誤り)同弟義生(二三)同墨田区/ 吾嬬町七ノ一一下田稔(二五)同紱/
 行(一五)同佐藤敬(二六)同滝紱次郎/ (二三)軽井沢町沓掛土屋酉藏(一五)


 ちなみに11〜12段めの小説「青い山脈(72)」は「理事会開く(十六)」です。
 次回、この「朝日新聞」の一連の報道から分かることをまとめてみましょう。(以下続稿)