瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅間山の昭和22年噴火(19)

 昨日まで「朝日新聞」大阪本社版を見てみましたが、東京本社版に戻ります。
 10月22日付(14)に(加筆して)述べたように『朝日新聞縮刷版』の「昭和二十二年八月記事索引」では並んで出ていなかったので投書を見落としていました。
 すなわち【4】頁、7段組みの6〜7段め【聲  襴】として38本が挙がっています。頁付より判ずるに、9日・11日・18日・19日・22日・23日・25日・30日が2本で、14日には掲載されていません。うち22日の分は次の2本です。

 淺間山の教訓(宮本勇)……四四
 白書のハンラン(尾田榮)…四四


 「教」は本字です。以下の引用でも「説」は本字が示せませんでした。注記しませんでしたが「平」も、本字(平凡社の「平」)が使われているのですが、これも新字で代用しています。
・昭和22年(1947 年)8月22日 金曜日 第22077号
 2頁め(4版)は記事10段、11〜12段めは広告と小説「青い山脈(74)/理事会開く(十九)」、13〜15段めが広告で15段めは2段分。「声」欄は5〜8段めの右側、19行分です。

  浅間山の教訓
 ◇ギラ/\と太陽の反射のまぶ/しい火山灰の中に不氣味にころが/つている死体――こんな写眞が/「浅間山の遭難者」という説明を/つけて、とある新聞に掲載されて/いた。
  浅間山が近いうちに爆発する/ という予報と警告は、たしか一/
 ケ月ほど前に東大観測所から発/ せられていて、新聞も一般の人/
 の目につく程度の大きさで報道/ していた。その後、爆発のスリ/
 ルを味わおうとする登山者で連/ 日にぎわつているとも報じてい/5段め》
 た。世の中には命を粗末にする/ バカ者がなんと多いものか―/
 と、おくびような私はあきれた/ ことだつた。
 ◇最近、科学を尊重せよという/ことをよく聞くが、それは科学者/の待遇をよくしたり、科学の学校/を建てたりすることばかりではな/い。もつとも手近なところで、科/学者のいうことに世間の人々がも/つと眞面目に、もつと眞劍に耳を/かたむけるということもその一つ/だ。いや、ある意味では、それが/すべてだといつてもよい。科学者/の予言や警告は、ボソ/\とトツ/弁で声が低く、一般の人には聞き/とりにくいかも知れないが、この/眞劍な忠告を馬耳東風とうけ流し/てしまうことほど、科学者を侮辱/6段め》し、科学を侮辱した話はないだろ/う。この意味で、今度の遭難者に/対してはお氣の毒という氣持とと/もに、何かしら腹も立つ。
 ◇落語を聞き、ジャズを聞き、/浪曲聞く耳をもつていたら、そ/の何分の一かでもいゝ、どうか科/学者のいうことをもつと眞面目/に、もつと眞劍に聞いてほしい。/なにも浅間山のことばかりではな/い。(長野・宮本 勇=無職) 


 「とある新聞」と別の「新聞」が持ち出されていますが、「聞蔵IIビジュアル」で検索しても警告の記事などヒットしませんので、「朝日新聞」ではないようです。「ヨミダス歴史館」でもヒットしませんので、「讀賣新聞」でもありません。経過を跡付けるには、なお複数の新聞を見る必要があるでしょう。
 ちなみに「声」欄の残りは「白書のハンラン」で、末尾・8段め19行めには、

(東京・尾田榮=銀行員)   

とあります。宮本氏も尾田氏もこれだけの手掛りではどのような人物であるか、分かりませんでした。大阪本社版の8月22日付「声」欄は全く別内容です。
 さて、この投書ですが、犠牲者を批判するような内容ですけれども当時の様子を示すものとして敢えて示して置きます。何となれば、今回の御嶽山噴火についても、一部で自己責任が持ち出され、犠牲者や生還した人を責めるような論調が存するからです。私の考えは、夙に9月30日付「「ヒカルさん」の絵(1)」の後半(おまけの雑記)に示した通りです。危険が指摘されていながら昭和22年(1947)8月14日に浅間山で遭難した人たちは、批判されても仕方がないでしょう*1。けれども、今回の御嶽山で遭難した人々を同等に扱うのは、違うと思うのです。
 ちなみにここで示したホームドクターについては早川由紀夫「火山ホームドクターとジオパーク」にまとめています。私は、自己責任論や登山規制を除いては早川氏の意見に近いと思う*2のですが、専門家でも何でもないから私の意見など当然尊重されないのだ(Twitterもやらないし)けれども、専門家の早川氏よりもある面では早く、ほぼ素人でも似たような意見を出せたということを強調して、予知態勢の拡充だとか(山麓にまで被害が生ずるような噴火の予測であれば今の態勢でほぼ十分のはずだ)シェルター増設とか誤った(しかし予算は分捕れる)方向に議論の進むことのなきよう、ボソボソ低い声で主張して置きます。……何かすれば良いってもんじゃない*3、と。――私は、何かあったらほぼ確実に死ぬような状況の山には登らなきゃ良いのだし、登らせなきゃ良いのだと思っています。そしてその伝で行くと、今回の遭難者を自己責任の枠組で捉えるのには違和感があるのです。(以下続稿)

*1:尤も、8月13日に登って無事だった人、14日の午前のうちに下山して無事だった人と、どう違うのかという気がして、ならないのですけれども。

*2:飽くまでも火山噴火の予知関連について、です。念のため。

*3:ところが予算制度では、何かしなきゃいけない、途中で無駄だと分かっても、いや、最初から無駄らしいと分かっていても、とにかく、しなきゃいけない。……どうにかならないのかこの制度。――大きな問題が発生したときに、何もしないという選択肢がほぼ封じられている。予算を取る絶好の口実を、予算を取るのが手柄になる官僚がみすみす見逃す訳はないのですから。