・文春文庫(2001年8月10日第1刷・定価524円・文藝春秋・265頁)
岸田國士(1890.11.2〜1954.3.5)秋子(1901〜1942.8.24)夫妻の長女岸田衿子(1929.1.5〜2011.4.7)、次女岸田今日子(1930.4.29〜2006.12.17)の共著です。
本書のことは9月28日付「浅間山の昭和22年噴火(1)」に述べたように、早川由紀夫(1956.1生)のブログ「早川由紀夫の火山ブログ」の2006/09/19「岸田今日子の浅間山1947年爆発体験」にて知りました。書影も既にそこに貼って置きました。
噴火当日の北軽井沢の様子は、早川氏の引用した昭和22年(1947)「八月十四日」付の岸田今日子の日記で十分なのだけれども、もう少し前後の状況やら、当人たちの事情やらを眺めて置きたいと思って借りて来ました。
まず、5〜8頁、岸田衿子「はじめに」から、冒頭の段落(5頁2〜7行め)を抜いて置きましょう。
物心つかないうちから、夏は群馬県の浅間六里ヶ原の山小屋ですごした。物書きの父/の仕事のため、それに子どもの私たちの健康のためだった。海抜一一〇〇メートル、高/冷地で地番は長い間「吾妻郡長野原町大字応桑字大屋原」。知らない人が多いから「嬬/恋村のとなりよ」と云っていた。最近「大屋原」の大部分が北軽井沢になった。軽井沢/からはひどく離れているのに、昔ここに廃線になった草津行の電車の「北軽井沢」とい/う駅があったからだ。*1
「廃線になった‥‥電車」は草軽電気鉄道で旧駅舎が現存しています。(以下続稿)
*1:ルビ「あがつま・おうくわ・つま/ごい」。