・朝日新聞大阪本社版(3)
・昭和22年(1947 年)8月17日 日曜日 第23680号
2面、記事は12段、13〜15段めは広告で15段めは2段分。7段めに次の記事があります。
さらに四死体発見
浅間山爆発の遭難者
【軽井沢発】浅間山はその後も依/然危險去らず、軽井沢署員、警防/團員三十余名が十六日朝來峰の茶/屋で登山のチャンスをねらつて待/機中であるが、同日山頂に決死的/搜査に向つた軽井沢町沓掛望月光/雄氏(三〇)ほか九名は火口の南斜面/に新たに四名の死体を発見、旧火/口の三名(既報四名は誤り)と合/わせて七名の遭難者が確認された
大阪本社版は年齢を半角数字にしています。東京本社版は戦前以来の、2桁めを右寄せ、1桁めを左寄せにして、戦前より文字が小さくなっているために潰れてしまって殆ど読み得なくなっているの比して、はっきりと読むことが出来ます。なお「既・誤・認」は本字ですが、表示出来ないので新字にて示しました。
この16日の捜索については、東京の各紙は記事にしていませんでした。*1
さて、この(既報四名は誤り)ですが、10月19日付(11)で見た「毎日新聞」8月18日付記事と同様の混乱があるのかも知れません。この「七名の遭難者」が、18日に山から下ろした7遺体なのではないか、と思われるのです。(以下続稿)
*1:【11月18日追記】11月18日付(26)に注記したように「毎日新聞」が2度触れていた。よってこの1行を削除する。