昨日の続き。不完全ではあるが最後まで。遺漏については追って補うことにする。
・花とゆめCOMICS『アラベスク』第II部第4巻(1976年3月20日第1刷発行・1982年11月15日第21刷発行・定価360円・194頁)
・HC版5頁
私の見た本は4頁までが存しない。どうやら4〜5頁の見開きが飾り枠で囲われたこれまでのあらすじで、丸ゴシック体で3段組、5頁はそれぞれの段の左側に、上段から「ノンナ・ペトロワ」中段「ユーリ・ミロノフ」下段「レミル・ブロフ」の顔イラストと明朝体で簡単な紹介がある。
・HC版6〜33頁=『完全版Ⅳ』216〜243頁=『文庫版Ⅳ』208〜235頁
完全版219頁と文庫版211頁の捨てカットは一致、単行本9頁はコマ(7コマめ)になっているがこの場にいないはずのカリン・ルービツの顔で筋には関わっていない。少々紛らわしい。
完全版223頁「凉子の/ミニ通信」、単行本13頁と文庫版215頁の捨てカットは異なる。
・『完全版Ⅳ』245頁(カラー)
・HC版34〜36頁=『完全版Ⅳ』246〜248頁(カラー)=『文庫版Ⅳ』236〜238頁
・HC版37〜82頁=『完全版Ⅳ』249〜294頁=『文庫版Ⅳ』239〜284頁
完全版257頁「凉子の/ミニ通信」、単行本45頁と文庫版247頁の捨てカットは異なる。
完全版259頁と文庫版249頁の捨てカットは一致、単行本47頁は異なる。
完全版277頁「凉子の/ミニ通信」、単行本65頁と文庫版267頁の捨てカットは異なる。
・HC版83頁
左上に丸ゴシック体横組みで「モスクワ」とあって、白黒で写真が2つ、左下にゴシック体横組みで「写真(上) モスクワの / ボリショイ劇場/写真(右) ゴーリキー通り*1」とある。
文庫版285頁は下部に捨てカット。完全版295頁は白紙。
・HC版84〜194頁=『完全版Ⅳ』296〜406頁=『文庫版Ⅳ』286〜396頁
完全版299頁と文庫版289頁の捨てカットは一致、単行本87頁は背景が黒のコマ(8コマめ)になっていてこの場に登場するカリン・ルービツの顔で、9頁と違って筋に関わっているようにも見える。
完全版301頁「凉子の/ミニ通信」、文庫版291頁は捨てカット、単行本89頁はコマ(9コマめ)になっていて、石畳の上を顔を覆って歩くノンナだが、上半分は余白になっていてやはり捨てカットと呼ぶべきものである。
完全版335頁「凉子の/ミニ通信」、単行本123頁と文庫版325頁の捨てカットは異なる。
完全版341頁と文庫版331頁の捨てカットは一致、単行本129頁は異なる。
完全版357頁「凉子の/ミニ通信」、単行本145頁と文庫版347頁の捨てカットは異なる。
完全版359頁と文庫版349頁の捨てカットは一致、単行本147頁は異なる。
完全版383頁「凉子の/ミニ通信」、文庫版373頁は捨てカット、単行本171頁はコマ(6コマめ)になっていて、166頁2コマめのノンナの顔を上部に左を上に横転させ、下部は黒。もちろん筋には関わりない。
完全版385頁と文庫版375頁の捨てカットは一致、単行本173頁はコマ(6コマめ)になっていて、背景が黒で、上部にノンナの不安そうな顔と右肩・右手、下部は黒。もちろん筋には関わりない。(以下続稿)
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戦後レジームの脱却と総理は云っていたが、これで日本に独自外交の方途がなくなったと云うべきなのだから、小林よしのりの云う通り戦後レジームの完成だろう。アメリカと対等になったなど、誰が思うのか。
総理も、日本はアメリカに追随する以外の選択肢はない、そのアメリカの要求だからこうするよりないのだ、と胸を割って話してくれたら、私は諦めの良い人間なので、仕方がないと思う。
第一次内閣のときは、やりこめられていたが誠実だったように思う。しかし現内閣になって全く信用出来なくなった。言い負かされない技術を磨いて、誤魔化しが巧くなった。答えやすい質問には滔々と語り、答えにくい質問はすり替えて、答えになっていない持論をやはり滔々と語る。言い負かされず自信満々に話し続ければ、揚げ足取りだろうが何だろうが強く見えるのも事実である。しかし専門家の学術論文でも無意識に自分の読みたいようにすり替えてしまう事例に嘆息してきた私は、こうした故意の誤魔化しにも耐え難いものを感じる*2。それに一応教育に関わってきた人間として、あんな答弁をしていて教育再生とか言われても困るのである。全く子供のお手本にならない。正々堂々とやってもらいたいのである。いや、あれをお手本にするような教育を施したいのであれば、仕方がない。しかしそれなら、正々堂々とやっているような顔をしないでもらいたいのである。例の実行会議の委員をやっている方々は平気なのだろうか。だとしたら、一種のマキャベリズムで良くないと思っていてなおその地位にあるにしろ、全く平気で気にならないにしろ、やはり信用出来ないと思う。
民主党政権には、私は一度も投票しなかった。多少期待はしたが、麻生政権の支持率が何故急速に下がったのか、私には理解出来なかった。そして政権交代が現実味を帯びてきたのだが、そのときにマニフェストに出来そうもないことを盛り込み始めた。政権交代必至と言われていたのだから無茶は避けるべきだと思っていたが、のぼせ上がってしまったのだろう。案の定、駄目だった。役人を敵に回したことも大きかった。しかし現政権よりはまだマシだ。……私の判断基準は、言っていることとやっていることが乖離していないか、であって、右翼とか左翼とかで支持する・しないを決めない。信用出来るかどうかが問題なのだ。