瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(19)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(19)
 東三條利公というのは11月23日付(07)に引いた、昭和3年10月20日付の「大衆文藝/ 豫選結果」に示されている住所「京都市下京區三條大橋東六丁目分木町六四徳田方」による筆名でしょう。これ以外に懸賞応募があったのかどうか、長濱氏や松前氏のように「サンデー毎日」や「朝日新聞」の懸賞小説に応募して選外佳作・当選になっておればそれが手懸りにもなるのですが、東三條氏の名をネット上に他に見出すことは出来ませんでした。
・東三條利公「戀慕夜叉」
 白井喬二の選評(50点・5位)

東三條利公氏の「戀慕夜叉」は、勤王黨と佐/幕黨の葛藤を書いたものであるが/其葛藤は極めて常識的なものであ/る、今少し作者獨自の材料を搾出/する必要があらう。筆致は明るく、/人物の出入れも賑やかで樂々と讀/ませる處は巧者である。


 吉川英治の選評(76.8点・4位)

‥‥。それと伯仲して通俗的興/味を多分に盛込まれてあるのは材/を維新にとつた「戀慕夜叉」であつ/た。かなり技巧に富んだ作で、い/はゆる「新聞効果」にあてゝ書いて/ゐるが、すこし文章に凝りすぎて/居るしその文章が決して名文とは/いへない。作中、古將棋を説いて/中將棋をさす所などは大層骨を折/つて書いてゐるが、その邊も讀者/よりは作者自身の味噌の方が上り/すぎて居はしないだらうか。


 「それと伯仲して」とあるのは引用した段落の前半で論じられている長濱氏の「劍難時代」を指しています。この2作に吉川氏は当選作2作に次ぐ評価を与えています。
 甲賀三郎の選評(70点・3位)

 「戀慕夜叉」
     東三條利公君
 戀を失つた女が勤王志士に仇を/する。相變らず新選組を取入れた/もので、筋の變化は相當あるが、/既成作家に遠く及ばない。何とか/新しい工夫のありたいものである


 寺尾幸夫の選評(70点・4位)

六、「戀慕夜叉東三條利公作。幕/末的物語をかなり面白く描き出し/てゐる。新講談としての興味はあ/る。


 三上於菟吉の選評(53点・8位)

戀慕夜叉」 しつこし、讀むにつ/らし、


 これも評価が割れています。物語の枠組は甲賀氏の評により分かります。(以下続稿)

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 どうも、朝の連続テレビ小説「あさが来た」の話題を追加すると、閲覧数が減るようだ。短絡的なネット使用者の目に触れないよう検索サイトが守ってくれているらしい。別に守ってくれなくても良いのだけれども、今は本格的に取り組む余裕はないからやはり付け足り扱いで済ませて置く。
 昨日の続き、というか、再説。
 ――「丹波の篠山」或いは「丹波の園部」とは言っても「兵庫の篠山」だの「京都の園部」とは言わない。「福知山」や「宮津」は特に「丹波の」或いは「丹後の」と冠さないが「京都の福知山」だの「京都の宮津」とは言わない。「京」と言えば「京都」市の、今の上京区・中京区・下京区とその周辺(鴨川左岸など)に限ったのである。伏見や嵯峨は(今は京都市だけれども)また別の町であって京都ではない。「大阪」も多少の出入りはあるが今のJR大阪環状線に囲まれた範囲が「大阪」なのであって、それより外側は農村地帯だった。農村地帯を指して「大阪」とは言わない。大阪府は成立していても、一般人にまで地域名としての「大阪」府は浸透していない。いや、全く普及していなかったろう。
 上方落語には、11月26日付(10)にも書いたように、こうした認識がそのまま保存されている。東京落語だってそうだろう。「堀之内」という落語があるが、この堀之内は今でこそ切れ目なく家並が続いている杉並区堀ノ内だけれども当時は郊外だった。だから少し遠いところへ行くつもりで設定されている。いや、今だって府中や八王子・青梅を指して、ただ「東京」とだけは言うまい。下手をすると23区の中だって、場所によってはただ「東京」と云うのは憚られるところがあるだろう。
 脚本家大森美香(1972.3.6生)は福岡県の出身で(だから妙に炭坑篇が長いのだろうか?)横浜や東京で高校・大学・社会人生活を送った人だから、大阪の地理感覚がまるで掴めていないのである。前回、歴史考証と大阪ことば担当の人を批判するようなことを書いたが、あの萬田久子の言う「大阪」は完全に現代語であって、ドラマで描いている当時の別の言葉には、置き換えることが出来ない。そもそも夜逃げして裏長屋からも逃亡した時点で「大阪」から出ているのであって、今更「大阪」を離れるの離れんのと議論になるような段階にないのだ、あんたたちは*1。しかも、間違っている上に、妙に重い意味が被せてある。置き換えは不可能で、おいそれと直せない。事前に協議する余裕があれば脚本家に勉強不足を指摘して書き直させるところだけれども、そんな余裕がなければ「今の視聴者には違和感はないはず」という屁理屈でそのまま押し通すことになってしまうのだろう。余裕があっても抵抗しようと思わないのかも知れないが。しかしもう少し頑張って欲しい。このままなし崩しにして欲しくない。
 それにしても、古典研究をやって来た者としては、明治以来の、伝統から国民を分断する流れの完成した形を見せつけられているようで、なんとも遣る瀬なく、情けないのである。

*1:辰巳氏や萬田氏が気付いていて仕方なく言わされているのだとしたら同情する。そうでないなら、……已んぬるかな。