瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(18)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(18)
 長濱勉については「直木賞のすべて」の川口則弘(1972生)のサブサイト「文学賞の世界」に拠ると、「サンデー毎日」大衆文藝の第4回の、甲種(100枚)選外佳作5作のうちに「痴人の剣」が入り(当選は2作)昭和4年(1929)5月1日刊「サンデー毎日」新作大衆文藝に発表されていますから、これを見れば何かしらの情報が得られるでしょう。ネット上にはこれ以外に情報がないようです。
・長濱勉「劍難時代」
 白井喬二の選評(50点・5位)

 ―長濱勉氏の「劍難時代」は淡々として癖のない筆/法はよいが、これは前作とは反對/に、年少者らしい稚臭を脱しない/ところがある。映画種を目標とし/てゐては駄目である。


 「前作」というのは12月4日付(17)に取り上げた松前治作「南蠻緋玉双紙」です。白井氏が論評した順序は11月30日付(13)の表に示しました。

 吉川英治氏の選評(78点・3位)

 「劍難時代」はその劍戟的な題名/がまたかと思はれて損であるが、/類型のない筋であつて二十回先の/書きやうに依つてはかなり面白か/るべき人物と内容的な基礎ができ/てゐる。‥‥


 甲賀三郎の選評(65点・7位)

 「劍難時代」
     長濱 勉君
 筋は相當であり、文章も中位、/新味に缺け講談に堕しかゝつてゐ/る。


 寺尾幸夫の選評(65点・6位)

五、「劍難時代長濱勉作。人物の/遊動性はあるが全篇を通じての精/神が足りない。只人物の個性は妙/に出てゐる。


 三上於菟吉の選評(72点・2位)

劍難時代」 「人間」を描かうとし/ てゐる氣組みよろし、


 やはり評価が割れています。そして何よりも、登場人物や内容についての記述が全くありません。恐らく特定の時代や歴史上の人物を扱っていないためであるようです。(以下続稿)

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 今週の連続テレビ小説「あさが来た」第10週「お姉ちゃんの旅立ち」の録画を消してしまう前に、11月24日付(08)及び11月26日付(10)の付け足りにて問題にした地名について、確認して見た。
 第55回(月曜日)には眉山栄達(辰巳琢郎)が一人息子の眉山惣兵衛(柄本佑)に「せやけど、お前が山越えて、和歌山まで行ってたとはなぁ」と言い、惣兵衛が野原に立つ場面で右下に「和歌山」という横組みテロップが出た。続く惣兵衛の報告にも「和歌山は、大阪と違て*1、海と山がいっぱいだす」云々と言うのである。時代考証や大阪ことば指導の人はもうこれで構わないと思っているのだろうか。
 抗議をしようとは思わない。回答も予想出来るから。ただ、――こう作らないといけない(或いはこの程度の作りでよい)という、作り手の意識を窺う例として、メモして置きたいだけである。もしかしたら、そんな意識もためらいもなくやっているのかも知れないが。
 第57回(水曜日)主人公(波瑠)が「なんやて? 三日後に、大阪出るて、お姉ちゃんが」と下女うめ(友近)に聞き「へえ。一家みんなで和歌山の有田に越しはるそうで」と答えさせているが、くどいようだが姉一家が住んでいる山に近い田舎は「大阪」ではないし和歌山県有田郡は「和歌山の有田」ではなく当時は未だ旧国名で「紀州の有田」と呼ぶべきだろう。間違いとは云わないが当時の人の発言として有り得ない。
 この回の最後のナレーション(杉浦圭子アナウンサー)は「そして、惣兵衛一家が、大阪を旅立つ、最後の日。はつ(宮粼あおい)と藍之助(南岐佐)が、加野屋に泊まりにやって来ました。」と云うのだが、このナレーションの前半に大八車に家財を積み込む眉山栄達・惣兵衛が映る。くどいようだが一家はもう大阪を出ている。そこ、大阪やあれへん。
 第58回(木曜日)の最初のナレーション「大阪最後の日。はつが藍之助を連れて、加野屋に泊まりにやって来ました。」と云うのは、この回最後のナレーション「そしてとうとう、はつは大阪最後の夜を迎えようとしていました」と合わせて許容しよう。主人公の夫(玉木宏)が「このお琴は、和歌山に持って行っとおくなはれな」と言うのもやはり「紀州に」と言わないとおかしい。
 第59回(金曜日)の1つめのナレーション「とうとう、姉妹が大阪で共に過ごす、最後の夜が、訪れました」は、加野屋の場面だからおかしくない。問題があるのはこの翌朝、眉山栄達・菊(萬田久子)夫妻と惣兵衛が加野屋まで、はつと藍之助を迎えに来る場面である。一体どこなんだ、これまで眉山一家が暮らしていた山に近い農村は。淀川の右岸(摂津国)でないことは紀州(「和歌山」県)に「山越えて」としか言っていないことから察せられる。生駒山地金剛山地の麓(河内国)か。和泉山脈の麓(和泉国)辺りでは遠すぎるだろう。主人公夫婦が気楽な恰好で往来しているところからすると、やはり生駒山の麓辺り(河内国)としか思えないのだが、わざわざ大阪まで家財道具一切を載せた大八車を引いて、のこのこ出て来るだろうか。随分な回り道である。東高野街道をそのまま南下すれば良いので、一応、眉山菊に「さ、人気のないうちに出立しまひょ」と言わせているが、人目を憚るのにわざわざ荷物を引いて大阪を回る必要はないだろう。舅夫婦は郊外に荷物と共に待たせて、惣兵衛だけ迎えに入れば良かろう。この姉との最後の夜の場面最後のナレーション「あさが、はつと大阪で再会するようになるのは、このあと、ずっと先のこととなります」と云うのは大阪市内での再会としておかしくない。しかしそれではこれまで「最後」と強調して来たのは、ちょっとした詐術ということとなります。
 第60回(土曜日)、後半に挿入される姉一家の場面の冒頭、中央に縦組みで「和歌山」とのテロップが出る*2

*1:発音は「チゴテ」。

*2:ロケ地はどこなのだろう。川が「大阪」にいた頃の川と同じ場所に見える。尤も「大阪」の農村(!)での川の場面は、もう録画を消してしまったので確認出来ないのだけれども。もちろん、本当に紀州で撮れと云うのではありません。「和歌山」に引っ掛かっているだけで。