瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

講談社別館の幽霊(2)

 昨日の続き。
 講談社別館の幽霊については、漫画家の松本零士(1938.1.25生)が平成24年(2012)に行われたインタビューで語っています。「ねりまん!スペシャル/ねり星独占インタビュー/松本零士先生/超絶ねりま愛ロングインタビュー」(撮影:雷蔵  インタビュー:早瀬マサト、丸尾宏明、雷蔵  文・構成:丸尾宏明)というインタビューです。前編後編に分割されていて、それぞれの前置きには「ねりまん独占企画 練馬のキラ星インタビュー」ともあって、インタビューの名称を定めにくいのが困るのですが、このインタビュー企画の「第1弾」が松本氏でした。これがネットに上がった時期ですが、2012年9月30日「ねり星 その① 松本零士先生インタビュー(前編)」及び2012年10月2日「松本零士先生インタビュー(後編)」の記事の日付と同じでしょう。インタビューが行われた「某月某日」はその少し前と見当が付きます。なお早瀬マサト(1965生)は漫画家、丸尾宏明(1964生)はねりまんプロジェクト副代表でした。
 ねりまんプロジェクトは平成24年(2012)1月に発足し、平成26年(2014)8月に解散した、練馬を漫画やアニメで盛り上げようという町興し団体で、HP「ねりまん!」や代表の(青木)雷蔵のブログ「ねりまん!管理人のブログ」によって大体の経過が分かります*1
 ついでに「松本零士先生インタビュー」の章立てを見て置くと、前編は「最初のふるさと九州時代と漫画の仲間たち 」「上京して練馬へ… 」「練馬との不思議で不思議すぎる結びつき 」、後編は「日本漫画のセンパイたち 」「日本漫画の青春 」「練馬には漫画館が必要! 」「練馬から漫画とアニメで世界貢献も 」です。
 さて、講談社の別館に触れているのは後編、「日本漫画の青春 」に、

 そうやって別冊付録をたくさん描いて、それからいきなり週刊誌になったんですよね。ただし別冊付録はなくならない。ものすごく忙しくなりました。けれど若かったからた〜くさん遊びましたねぇ。あるとき、講談社の別館…よく私たちがカンヅメになった場所…に幽霊が出るらしいと。夜ごと足音が聞こえると。それは探検せねばなるまい…と、手塚さんに石ノ森氏、ちばちゃん、私らで。暗くて怖いんですけどね、好奇心のほうが勝っちゃう。で、何だったかというと、雨漏りなんですね。それが下の階にいると足音に聞こえちゃう。なあんだ!ってことになったり(笑)。‥‥

とあります。ちなみに「練馬には漫画館が必要! 」の冒頭に、幽霊とは関係ありませんが、

 あらゆる世代の漫画家と交流が持てたことは大きな財産です。そういえば、講談社の裏の別館、今ビルになってしまいましたが、当時のドアノブを私が持っているんですね(笑)。さまざまな漫画家が握ったドアノブです。いずれ練馬に漫画館ができたら飾りたいんですね。

とありました。
 やはり幽霊ではない、という前提になっています。但し手塚氏が丸山氏の云うように捏造の張本人だとすれば、自分で広めた嘘話を自ら検証しようとしたことになります。ですから、手塚氏は噂を広めるのに寄与したのでしょうけれども、根も葉もない話をでっち上げたのではないのでしょう。なんとなれば、ここで実際に幽霊を見たという漫画家も存在するのです。(以下続稿)

*1:2019年4月29日追記】現在、ここまでに挙げたサイトは全てリンク切れになっている。【2021年12月8日追記】「松本零士先生インタビュー」前後編及び「ねりまん!」は、現在、同一の別のサイトにリンクしてしまうのでリンクを外した。念のためもとのアドレスを保存して置く。2012年9月30日「ねり星 その① 松本零士先生インタビュー(前編)」及び2012年10月2日「松本零士先生インタビュー(後編)」、HP「ねりまん!」。