瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

斎藤澪『この子の七つのお祝いに』(1)

 1月に Amazon で買物をした際に、間違って「prime をためしてみる」と云うボタンをクリックしてしまった。別に試すつもりもないので解除しようと思ったのだが、既に1ヶ月無料体験会員にされてしまっていた。厄介なことになったように思ったのだけれども、会員特典を見るに結構な数の映画やTVドラマが無料で見られることになっている。それで先月、会員を継続することにしたのである。以前は勤務の帰りにDVDの貸出のある図書館に寄って映画等を借りて見ていたのだが、今の勤務先では帰りに立ち寄ることが出来ない。出来たとしても23区と違って在住在勤でないと貸してくれない。これから花粉症の時期になって引籠りがちになるし、月400円なら安いと思ったのである。
増村保造監督「この子の七つのお祝いに」 昭和57年(1982)10月9日公開

あの頃映画 「この子の七つのお祝いに」 [DVD]

あの頃映画 「この子の七つのお祝いに」 [DVD]

・原作
この子の七つのお祝いに (1981年)

この子の七つのお祝いに (1981年)

この子の七つのお祝いに (角川文庫 (5890))

この子の七つのお祝いに (角川文庫 (5890))

 原作は第1回横溝正史賞受賞作。未見。カドカワノベルス版は映画公開にやや先行し映画の写真をカバーに使用し、角川文庫版も映画の写真をカバーに使用している。
 特に興味があった訳でなく、本は図書館で見掛けたこともなく、DVDは見掛けても借りたこともなかったのだが、何となく時間潰しに見てみたのである。
 以下、所謂ネタバレ。
 今で云う「メンヘラ」の母・眞弓(岸田今日子)に、自分たちを捨てた父親に対する恨み言を聞かされ続けた娘・麻矢(岩下志麻)による復讐劇。

この子の七つのお祝いに
 これは予告篇ではなく冒頭部*1
 「東洋新報」元記者で「週刊公論」専属ルポライター・母田耕一(杉浦直樹*2)が、政界スキャンダルを追ううちに偶然、小料理屋「往来(ゆき)」のママ・ゆき子(岩下)の正体に気付くのだが、末期癌であることとゆき子に対する愛から、黙っておくことにする。ところが、復讐の一念に凝り固まっていたゆき子に殺されてしまう*3。ゆき子を母田に紹介した「東洋新報」記者、つまり母田の後輩である須藤(根津甚八)は、母田の遺志を継ぐべく「東洋新報」を退職して、母田が追っていた政界スキャンダルについて辿って行くうち、麻矢=ゆき子がその鍵を握る人物であることを知る。すなわち、大森のアパートの隣人で、母の自殺で孤児となった麻矢を、遺書で(養育費200円とともに)依頼されて引き取って、会津の実家に連れ帰って育てていた女性(中原ひとみ)に見せられた高校時代の写真が、セーラー服を着たゆき子(!)なのである。いや、本当に、あの岩下志麻がセーラー服(夏服)を着ているのだ。カラー写真なのだが、世代的に白黒写真で良い時期なのだから、もう少し何とかならなかったのか、と思う。――岩下氏の若い頃と云えば、2018年7月29日付「川端康成『古都』(13)」等に取り上げた映画「古都」を見ているけれども、顔が違っているからちょっと使いにくかったのは分かる。それでも、どう見ても同一人物には見えない映画「砂の器*4の和賀英良(加藤剛)とその子供時代・本浦秀夫(春田和秀)よりはマシだろう。同じ人なのだから。
 春田氏は最近インタビューを受けたり公の場に姿を見せるようになっているが、あの本浦秀夫がそのまま育って少し老いたような顔で、やはり、加藤剛にはならないよなぁ、と思ったのである。春田氏は樋口尚文がインタビュアーを務める「映画『砂の器』シネマ・コンサート」特設WEBサイトに、2017年7月に掲載されたインタビューで「砂の器シネマ・コンサート開催記念特別インタビュー/“伝説の名子役・春田和秀(少年・本浦秀夫役)がはじめて語る『砂の器』の現場”前編」*5の3章め「一生懸命”封印”しようとしていた記憶がどんどん蘇ってくる」にて、巡査(浜村純)のせいで負わされた額の傷について詳しく述べている。春田氏は「これが証拠になる」と述べているように、この傷の一致から、和賀英良と本浦秀夫が同一人物であることに気付かれることになった、と捉えているようで、春田氏の回想する撮影時の状況からしても、撮影時にはこのアイディアで進めるつもりだったように思われるのだが、完成した映画を見る限り傷には特に注意されていないし、使用されている写真もそんな傷痕が分かるようなものではなかった。三木謙一(緒形拳)も今西警部補(丹波哲郎)も、やはり顔が似ているので気付いた、と云う理屈になっているのである*6
 これが通ってしまったくらいなのだから、ここも少々変わってしまったとは云え岩下氏の若い頃の写真を白黒で、若干この映画当時の顔に似るように細工して使用すれば良かったのではないか、と思うのである。残念ながら(?)2017年9月16日付「水島新司『ドカベン』(6)」等に触れた、森光子のセーラー服姿に勝るとも劣らない、衝撃の場面みたいになってしまっている*7
 結局、麻矢は眞弓の実の娘ではなく、父(芦田伸介)も眞弓と麻矢を捨てた訳でもなく、――要するに、眞弓の言っていたことは殆ど事実に基づいていない、ただの「メンヘラ」の妄想だったのだけれども、これを幼女時代にさんざん刷り込まれたもんだから、以後その解消のみを目的として生きざるを得なくなってしまった女の悲劇*8、と云うことになるのだが、今でも、勝手に相手を悪者のように思い込んで正義のネガティブ tweet を繰り返しているような輩が少なからず存するのだから、まぁ、生きて行くのは大変である。(以下続稿)

*1:予告篇は Amazon video にて prime 会員でなくても視聴出来る。

*2:役名の姓の読みは「オモダ」。

*3:葬儀の場面で写る位牌に「昭和五十七年/八月三日」の命日が読み取れる。

*4:これもAmazon prime の会員特典で視聴出来る。

*5:このインタビューの「後編」を2017年8月8日付「松本清張『砂の器』(6)」に取り上げたことがある。当時、このサイトはシネマコンサートのための特設サイトだからじきになくなると思い(それで多分)リンクを張らなかったのだけれども、シネマコンサートが継続しているので今でも読むことが出来る。

*6:子供の頃の本浦秀夫を知っている三木が、額の傷の一致で気付く、と云うのは非常に説得力があるけれども、その頃の顔を知らないはずの今西警部補が傷の一致で気付くのは、――亀嵩の桐原小十郎老人(笠智衆)にでも秀夫の写真を見せてもらうか、額の傷が気になったと(わざとらしく)強調してもらわない限り、不可能である。しかしそれでは、2017年6月2日付「松本清張『砂の器』(2)」及び2017年7月31日付「松本清張『砂の器』(4)」に取り上げた伊勢の映画館「ひかり座」の場面よりも前に、今西は同一人物の可能性に(確信しないまでも、何となく)気付きそうなものである。やはりここは、顔が似ているので気付いた、とせざるを得ないのであろう。

*7:森光子の方は舞台で、しかも遠目に見たので、別に凄いものを見てしまった、と云うほどではなかった。むしろこちらの方が衝撃的だった。

*8:3月17日追記】そのために事実をバラすつもりのなかった母田まで手に掛けてしまうのである。