瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作「幽霊見参記」(13)

・文藝別冊「遠藤周作」(5)*1
 4月22日付(12)三浦朱門インタビューの続きで、その晩に何があったかを説明した箇所を抜いて置きましょう。初版116頁(増補新版146頁)下段5行め〜初版117頁(増補新版147頁)上段11行め、

 その晩、遠藤の足元に灰色の着物を/着た見慣れない男がいるような気がし/て、アッと思ったら目がさめて、これ/は夢だったと思った。しばらくして、/また寝て、そういうことがもう一度あ/ったんですね。何かいやな気持ちがす/るなと思っていたら、遠藤が「おい、/おまえ起きてるか」と言うから「起き/てる」と言うと、「これ、おかしいぞ。/変な男が来て、おれの上にのしかかっ/て、おれはここで死んだ、死んだと言/う」、と。そういうことが遠藤は三度/あったと言うんですよ。私は、これは/ヤバイと思って、手を伸ばして、布団/の中に入ったまま全部着物を着まして、/遠藤に、その頃私は信者じゃありませ/んから、「お祈りすると、効くかもし/れんぞ」と言ったら、「あほ、お祈り/なんか効くか。これは日本の幽霊や/で」と言うんです(笑)。お祈りが効/かないならしょうがないと思って、/「おれは母家へ行く」と言って立ち上/がったんです。私はもう、ちゃんとど/てらまで着ていますから。そうしたら/遠藤が、「おまえ、友達がいがないや/っちゃな」と言って、どてらの裾をつ/かむんですね。私は幽霊に裾をつかま/れたような気がして必死になって振り/払って(笑)、彼は寝巻のまま飛び出/してきました。


 このインタビューでは、この事件のあった時季が示されていませんが、2014年9月20日付(05)に示した昭和32年(1957)7月刊「別冊週刊サンケイ」第六号のアンケートには「昨年の終り」とあり、確かに2014年9月14日付(01)に示した通り、遠藤氏と三浦氏がこの件について書いたのは「文藝春秋 漫画読本昭和32年(1957)1月号の「幽霊見参記」からですから、昭和31年(1956)の暮れなのです。2014年9月26日付(07)に示した『周作口談』改め『ぐうたら交友録』にも「その年も終ろうとするかなり寒い日だった」とあります。従って、三浦氏が「どてらまで着てい」るのに遠藤氏が「寝巻のまま」という対比になる訳です。なお、遠藤氏は2014年9月17日付(03)に引いた中村希明との対談で、2人とも腰を抜かしたと語り、『周作口談』改め『ぐうたら交友録』にそう書いてもいるのですが、三浦氏は自分が先に「立ち上がった」としています。――但し、4月14日付(11)に見当を付けたように平成15年(2003)初夏に行われたと思しきこのインタビューは、事件から46年半後の回想になる訳で、これを全て「真相」とする訳にも、行かないでしょう。(以下続稿)

*1:2020年6月21日追記】検索の便を考えて見出しを補った。