・中村希明『怪談の心理学』(7)*1
さて、これまで中村希明『怪談の心理学』の「赤いはんてん」に関する記述は、専ら2014年1月4日付「赤いマント(74)」に引用して置いた部分を使用して来ました。しかしこれは記事の題からも明らかなように、飽くまでも赤マントに関する検討の資料として引いたので、「赤い半纏」について考えるのであるならば、本当はこの後に中村氏が「赤いはんてん」について、さらに突っ込んだ考察を行っているところも含めて検討するべきでした。初め、1月15日付(01)に示した『怖い話はなぜモテる』に語られている、稲川氏の主張を確認して置こうというつもりでしたので、準備が不足しておりました。
以下、その部分について取り上げてみますが、私はその部分の見解にあまり賛成していないので、差し当たり2014年1月4日付「赤いマント(74)」に引いた箇所だけで筋を通して見たことは、それはそれで良かったと思っているのです。
さて、『怪談の心理学』で再び「赤いはんてん」が取り上げられるのは、17〜67頁「第一章 トイレの怪談の系譜――デマの心理学」の、見出しの位置を挙げて行くと49頁6行め「デマの伝達と変容の法則」53頁9行め「伝達によるデマの変容実験」55頁7行め「室内デマの実験」61頁9行め「デマと「現実基準」」63頁9行め「デマの「強調」の法則」66頁6行め「すぐれたコント」の6つの節です。
松谷みよ子『現代民話考』には、便所から「赤い××着せましょか」と言う声が聞こえ、婦警が刺殺されるというオチになる話が、1月21日付(07)に挙げたように3例紹介されているのですが、中村氏は「デマの伝達と変容の法則」に、この3話を掲載順に全文引用しています。
まず49頁7〜8行め、
戦前はもっぱら小学生のルーマーであったトイレの怪談が、昭和五十年代にはいると、/今度は女子大生の間で語られるようになる。
と前置きして、49頁9行め〜50頁2行めに共立女子大の話を引用します(引用の前後に1行分ずつの空白)。そして、50頁3〜6行め、
この話を戦中の小学校の赤マントの怪談に比べると、女子大のトイレに調査に入っても/おかしくない婦警さんが登場し、しかもギャル好みの語呂合せのオチがつくなど手がこん/でくる。採録年がないのは本が初版された昭和五十六年には流行していた現役の話だから/であろう。
とコメントしています。1月18日付(04)に引いた『怖い話はなぜモテる』では、稲川氏が婦警の登場が「妙なこと」と言っていたのですが、中村氏も指摘する通り、別に何の不思議でもありません*2。ここで問題があるのは「採録年」についてのコメントです。
面倒なので松谷みよ子『現代民話考』で済ませてきましたが、改めて中村氏の参照した単行本について確認して置きましょう。『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉』という題で、シリーズ名が「現代民話考[第二期]II」ではなく「現代民話考7」となっている刷もどこかで見たことがあるのですが、当ブログを始めてからは逢着しておらず示すことが出来ません。昭和62年(1987)6月に刊行されていますので、中村氏が「昭和五十六年」というのは誤りです。但しこの共立女子大の話は1月16日付(02)に注意したように昭和55年(1980)4月刊「民話の手帖」第5号掲載の松谷みよ子「現代民話考 その五/学校の怪談」に載っていますので、結果的にそんなに離れてはいないのですが……。それから中村氏は勝手に「採録年がないのは」本が刊行された当時「流行していた現役の話だからであろう。」と推測していますが、記載がないのはむしろ単なる不備と云うべきで、『現代民話考』に掲載されている話を利用する際の最大の弱点がこの「いつ記録されたのかが分からない」ことなのです。初出誌に出ていれば「民話の手帖」挟み込み(後には綴じ込み)の「現代民話考」アンケート葉書での回答と察せられます。だから報告者名が「回答者」として示されているのですが、前号が刊行された後に報告されたものと時期の見当が付けられます。しかし、単行本で追加された話も少なくないので、一々初出誌に当たって確認しないといけません。
それはともかく、共立女子大の話は単行本93頁11行め〜94頁2行めに本文、何故か中村氏は省略していますが94頁3行め「東京郡・斎藤とき/文――」5行め「○東京都千代田区共立女子大。本文。話者・共立女子大生。回答者・斎藤とき(東京都在住)。*3」とあります。すなわち、斎藤氏という個人が、ある時点で記録した話であって、採録年がないのは「現役」で「流行してい」る話だから年を入れる必要はない、との編者の考えから、入れなかったのではありません。『現代民話考』を編纂する際に方針を立て損なったため(忌憚なく云わせてもらえば)入れるべき情報だのに入れられなくなっただけなのです。
これは『現代民話考』に収録されている話を眺めて行けば、気付くことが出来ることではあるのですが、全ての『現代民話考』の読者・利用者がそこまで考えて読んだり研究に利用したりする訳ではありません。むしろ、こういうことが不得手な人の方が多いらしいのです。と云うか、松谷氏を始めとする『現代民話考』編纂スタッフも気にならなかったからこそ、このようなやり方を採ったのでしょうけれども。しかし、まだ『現代民話考』が扱っている時代のことが分かっている人が元気でいるうちに、保管されているはずの編纂資料について、利用に堪えるだけのデータ整理と公開が進むことを願って止みません。今のままでは、考証作業を行った上で注釈を加えないと安心して利用出来ないのです。(以下続稿)
*1:(1)にするべきかとも思ったのですが、2014年1月8日付「赤いマント(78)」の「・中村希明『怪談の心理学』(6)」の続きとして(7)にしました。
*2:音源を聞いて見るとこの「妙なこと」は聞き込みをしなかったことに対する感想だったのが、何故かこの本では捩れて婦警の登場についての意見のようになってしまっているらしいことに気付いたのですが、詳しくは別に述べることとします。
*3:ルビ「ちよだ」。