瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤い半纏(07)

 私が一昨日の晩(日付が変わっていたので20日未明というべきですが)に風呂場でつらつら「赤い半纏」のこれまでに分かっている流れを反芻してみて、ふと、2014年1月4日付「赤いマント(74)」に引いた中村希明『怪談の心理学』に「あたりは鮮血が飛び散って“赤い斑点”ができたというギャル好みの語呂合わせのオチ」という件が、稲川氏の「赤い半纏」には存在しないことに気付いたのです。
 すなわち、1月15日付(01)に引いた『怖い話はなぜモテる』では、

‥‥。ドアを開けたら、婦人/警官の首の後ろにくさび形の木が刺さってて、鮮血が吹き出してて、着ていた服を/みるみる赤く染めて、それがまるで赤い半纏のようだった、という話。

となっていますが、CDや動画サイトに複数上がっている音源でもこれは同じで「ギャル好みの語呂合わせ」にはなっていないのです。
 単行本及び文庫版『現代民話考』には、2014年4月18日付「赤いマント(138)」に引いた松谷みよ子「笑いと怪談考」に婦警が刺殺されるという結末の「ほとんど同じ話が三つ集った」と云っているように「赤いはんてん」が2つ、「赤いチャンチャンコ」が1つの合計3話が掲載されているのですが、昭和55年(1980)の「民話の手帖」に掲載されていた共立女子大の話は「赤いはんてん着せましょか」、昭和60年(1985)7月に東久留米市立下里中学校教諭だった常光徹が生徒から得た例は「赤いチャンチャンコ着せましょか」、そして「民話と文学の会かいほう」47号に掲載された大島広志 編「こ・わ・い・話」の「赤いはんてん着せましょかあ、赤いはんてん着せましょかあ」と、呼び掛けが全て「赤い××着せましょか」となっています。
 「民話と文学の会かいほう」というのは国会図書館サーチで検索してもヒットしないので、国会図書館くらいには納めて欲しいと前々から思っているのですが、47号は「民話の手帖」第5号に先行するものではないようです。オチは、今手許にある文庫版から引きますと、舞台は「ある中学校」なのですが、116頁3〜5行め、

‥‥、そこには血だらけの婦警が倒れていた。そして個室/の中を見ると、壁には血がべっとりとついていて、それがはんてんの模様になって/いたということだ。

となっています。共立女子大の話のオチは、文庫版112頁14〜15行め、

‥‥/トイレの中からナイフを持った手が出て来て婦警さんの胸を刺した。あたりには血が飛/び散って赤い斑点ができていた。

というものです。ついでに常光氏の報告では舞台は「ある学校」で、文庫版113頁10〜11行め、

‥‥、婦人警官は首を切られて死んでいた。身/体は飛び散った血で赤いチャンチャンコを着たようになっていた。

となっています。着衣が半纏かちゃんちゃんこのように染まるには、肩より上から出血する必要があります。稲川氏も『怖い話はなぜモテる』で「首の後ろに」としていました。共立女子大の話は着衣が半纏みたいになるのではないので「胸を刺」されています。大島氏の報告では出血の原因は説明されておらず、着衣ではなく共立女子大の話と同じく周囲の壁に飛び散った血が「はんてん」になるのですけれども、「はんてんの模様」というのですから、斑点になったのではなく「半纏の模様」なのでしょう。
 そうすると、稲川氏も含めて「赤い××着せましょか」の話が昭和62年(1987)刊『現代民話考』までに4例あるのですが「斑点」であるのは、実は共立女子大の1例だけなのです。そして『現代民話考』刊行後は、この「斑点」の「赤い半纏」が一種の定本になってしまいましたから、この話をその影響を排除して考えるのは困難になってしまいました。いえ、単に私個人に『現代民話考』が刷り込まれて、稲川氏の話にはない「斑点」を見てしまっただけなのですけれども。(以下続稿)