赤マントの噂は昭和14年(1939)2月中旬に、当時の東京市瀧野川區、現在の東京都北区の飛鳥山辺りから広まったらしいのだが、その地元である北区の郷土資料を見ても、なかなかそれらしい記述が見当らない。漸く先月、次の本を探し当てた。――探し方が悪くて、実はしっかり記述した本があるのかも知れないが。
・北区史編纂調査会 編集『北区史 資料編 現代別冊/新聞記事目録』平成5年3月31日発行・東京都北区・285頁・B5判並製本
背表紙を除いて全て横組み、本文中の年の表示がゴシック体である他は全て明朝体。
見返しは黄緑色、扉のみやや厚い白紙で上部に標題。私の見た本には扉の裏に藁半紙の「『新聞記事目録』 正誤表」が貼付されている。次いで「平成5年3月31日」付の、北区史編纂調査会長 段木一行「はじめに」がある。4段落あるうちの2段落めを抜いて置こう。5〜9行め、
ここに刊行する『北区史 資料編 現代別冊 新聞記事目録』は、大正元年から昭和27年までの、北/区に関連する新聞記事の目録です。現代史を編さんするため、行政資料を補う基本資料として新聞を/収集してきましたが、記事本文を資料編に収録するには限界があり、この成果を索引目録のかたちを/とって刊行するものです。利用の便をはかるために内容欄を設け、検索しやすいように補足してある/ことが特徴といえます。
裏は白紙。次いで「目 次」、この1枚も裏は白紙。続いて「凡 例」が2頁、「解 説」が3頁、「略 年 表」が5頁。以上、頁付はない。
そして1頁「1912(大正1)年」で頁付は下部中央に「―1―」と入っている。285頁までで、その裏は白紙。次いで北区史編纂調査会 現代部会「あ と が き」、裏は白紙で最後に奥付、裏は白紙。
調査対象になった新聞については「解説」の前半に採択理由とともに説明されている。
1頁め6〜11行めを引いて見よう。
①『朝日新聞』 大正元年〜昭和27年(昭和15年8月までは『東京朝日新聞』)
②『国民新聞』 昭和13年〜昭和17年
③『読売新聞』 昭和25年〜昭和27年(昭和21年の一部)
①『朝日新聞』をこの記事索引を作成する際の機軸としたのは、戦前から戦後まで一貫して検索で/き、復刻版・縮刷版とマイクロ版とが揃っていること、したがって一般的に利用しやすいと考えたか/らである(『東京日日新聞』のちの『毎日新聞』は昭和24年まではマイクロ版のみである)。‥‥
既に触れたように「東京朝日新聞」には赤マントの記事は出ていない。従って出ているのは「國民新聞」と云うことになるが、その前に「讀賣新聞」の採択理由を見て置こう。26〜27行め、
③『読売新聞』を取り上げたのは、昭和25(1950)年10月から都民版が登場したことによる。地域/関連の記事の充実という観点から、『朝日新聞』を補うという意味で検索し、記事目録を作成した。
今は「朝日新聞」も「讀賣新聞」もデータベース化されて端末から検索出来るようになったが、平成の初年ではかなりの手間であったろう。見落としも、少なくないであろう。(以下続稿)