瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

上田満男『わたしの北海道』(2)

 昨日の続き。
 続いて「第二部 開拓の歴史」の細目を見て行くつもりだったが、それは秋以降、余裕があるときに果たすこととしたい。
 さて、本書に関しては、ネット上には古書店の在庫状況くらいしか情報がない。元の連載についても、何せ北海道版の、40年以上前の連載なので、ネット上には情報が殆どない。昨日見た「序にかえて」にあったように、本書刊行後も連載は続いているのだが、何故か続刊されなかったため、連載が何時まで続いたのかも分からない。
 その、ネット上の僅かな情報が、ブログ「雑多なこころ」の「柴崎重行関連記事「朝日新聞北海道版 わたしの北海道」の要旨と感想」である*1。本書刊行後の「昭和52年(1977年)9月13日から9月16日までの4日間、朝日新聞北海道版に掲載されたコラム「わたしの北海道 語る人 柴崎重行さん」」を国立国会図書館の新聞資料室のマイクロフィルムで閲覧して、その要旨を紹介、感想を述べている。
 火曜日から金曜日まで4回、それぞれに「睥睨(へいげい)」「異端者」「素材」「作品論」との副題があるとのこと。本書の各篇も4節に分かれているが、掲載時の体裁を襲っているのであろう。「4日間全体の内容は、ほぼ全て柴崎重行氏のインタビュー。但し記者(編集委員 上田満男氏)から柴崎氏への質問は書かれていない。」と云うのも本書の体裁に合う。
 担当は朝日新聞北海道支社の編集委員・上田満男が一手に引き受けていたようだ。しかし上田氏の情報もネット上には乏しく、存命かどうかも分からない。
 僅かな手懸りは、昨日引いた上田賢「序にかえて」の記述と、318頁の次、奥付の上に横組みで、

うえだ・みつお
1930年北海道室蘭市に生まれる。
1953年朝日新聞記者。北海道支社報道/部次長、秋田支局長を経て、現在編集/委員。

とあることくらいである。

 秋田支局長時代のことは、あきた文庫2『花岡事件ノート』の3~6頁、上田満男「序・花岡事件」に、5頁2行め、

 昭和四十九年八月、秋田支局に赴任して、支局の清水弟記者から「花岡事件」を聞き、‥‥

とあって、昭和49年(1974)8月に朝日新聞北海道支社報道部デスクから秋田支局長に転じ、昭和50年(1975)には北海道駐在の編集委員として北海道支社に戻ったようである。『花岡事件ノート』の著者清水弟(1947生)は東京外国語大学フランス語科卒業で、後にパリ支局長などを務めている。
 しかし、色々と検索を掛けてみるうちに、北海道立図書館に「わたしの北海道」の、恐らく切抜きが5冊に整理されて所蔵されていることが分かった。これによると連載時期は昭和51年(1976)1月から10月までと、昭和52年(1977)7月から12月までで、本書は昭和51年分から抜萃されたものと云うことになろう。
 それから上田 満男 著「わたしの北海道 伊藤雪女さん」2枚がヒットするが「朝日新聞記事(昭和52.10.25)」とあって、柴崎重行(1905~1991)の翌月に掲載されたものであることが分かる。伊藤雪女(1898.2.12~1987)は俳人で、伊藤凍魚(1898.7.1~1963.1.22)の妻。
 他に「北の語りべ 戦争とは・・・」山川精 語り、上田満男 聞き手「朝日新聞」北海道版連載(昭和61.8.12〜9.25 20回)記事切り抜き綴が所蔵されている。「北の語りべ 北海道」などで検索を掛けてみると、やはり上田氏のインタビューで昭和61年(1986)1月7日~ 2月27日まで24回連載された「北の語りべ 辺境に求める画人 木村捷司」が、洋画家・木村捷司(1905.9.9~1991.7.16)の資料として取り上げられていた*2。他にも、多々このような企画を実行していたと思われるのだが、書籍に纏められたのが本書のみのため、埋もれてしまっているようだ。北海道在住の篤志家による発掘・整理をお願いしたい。(以下続稿)

*1:2023年9月4日追記】今日確認してみたところ、ブログ「雑多なこころ」には柴崎木彫鑑賞会『木塊:柴崎重行の心』に関する記事2本が存するのみで、「柴崎重行関連記事「朝日新聞北海道版 わたしの北海道」は削除されてしまったらしいことに気が付いた。

*2:北海道新聞」としているものは誤りであろう。