瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(153)

 小沢信男「わたしの赤マント」が、初出時には赤マントの流言の時期を、加太こうじ『紙芝居昭和史』の記憶違いに従って昭和15年(1940)としていたのを、単行本『東京百景』再録に際して昭和14年(1939)と訂正したのは、大宅壮一「「赤マント」社会学」に気付いたからだ、と云う見当を、2014年1月14日付(84)等にて、述べました。
 同じく「「赤マント」社会学」に気付いていた人としては、2013年12月29日付(69)に紹介した鷹橋信夫がいます。
 これについて、2014年1月21日付(91)の注に、

小沢氏及び鷹橋氏が「「赤マント」社会学」に気付いたのは何故なのか、その理由については追って報告します。

として置きながら、その後、その理由を報告しないまま来ていました。
 尤も、2015年4月30日付(144)に述べたように、鷹橋氏の『昭和世相流行語辞典』の方が、小沢氏の『犯罪百話 昭和篇』よりも早いので、鷹橋氏から小沢氏、と云う筋が引けるのではないか、と云う見当になっています。
 さらに遡ると、2013年11月25日付(35)の【2014年11月2日追記】及び2014年11月3日付(141)に言及した、昭和50年(1975)の「20世紀の歴史」Vol.89(日中戦争2)の「「赤マント」の怪」があって、これを鷹橋氏や小沢氏が参照した可能性も、もちろんありますが、これは当人に確かめないとはっきりしたことは云えません。
 それはともかくとして、今は2014年1月の時点で私が考えていた、鷹橋氏(及び小沢氏)が「「赤マント」社会学」に逢着し得た理由の説明を、済ませて置くこととしましょう。
・『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』1985年8月1日発行/発行 財団法人大宅壮一文庫/企画・編集・コンピュータ漢字処理・印刷・製本 凸版印刷株式会社/全13巻セット価格 280,000円/B5判上製本
・件名総索引(件名総索引凡例Ⅱ頁+349頁)
 この50音順の件名総索引の、横組み3列で組まれている、4頁の3列め(右列)15行めに、

赤マント→ デマ………………………… ③1328

とあります(矢印は白抜きの家型が横転したようなものだが表示しづらいので線の矢印で代用した)。
・件名編3(件名編凡例Ⅳ頁+目次13頁+1621頁)
 そこで横組み2列で組まれている件名編3を見るに、728〜1621頁「16 世相」の、1324頁右〜1393頁「16-024 世相風俗いろいろ」の、1328頁左52行め〜1329頁左49行め「16-024-005 デマ」、年代順に並ぶうちの4番め1328頁左60〜62行め(左列の一番下)に、

0004 「赤マント」社会学 活字ジャーナ 中 央 公 論   1939.4
 リズムへの抗議 赤マントの男徘徊の流
 言約1月全帝都を風靡(大宅壯一) p.422

と、簡単な背景説明とともに掲載されていました。小沢氏も『犯罪百話 昭和篇』のようなアンソロジー編纂にこれを参考にしたかも知れませんし、2015年4月29日付「鷹橋信夫『昭和世相流行語辞典』(2)」に見たような内容の辞典を数年懸りで編纂していた鷹橋氏も、参考にしたろうと思うのです。
 そうすると、この『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』刊行前の「20世紀の歴史」Vol.89(日中戦争2)はどうやってこの記事に逢着したのか、時事ネタを拾うために「中央公論」を順に点検して行って見付けたのか、それとも何か「「赤マント」社会学」に言及した文献があって、そこから辿って「中央公論昭和14年(1939)4月号を見たのか、注意されるところです。
 ずっとそのままにして来ましたが、この「20世紀の歴史」をきちんと見て置く必要がありそうです。(以下続稿)