昨日の続き。
「産経新聞データベース」では、やはり「赤マント」で検索するに、「【日米開戦 70年目の検証】国民の本音 口ずさむ歌はいつしか「戦時色」」と云うコラムが「2011-06-04・東京朝刊・特集特設」及び「2011-06-04・大阪朝刊・特集特設」掲載としてヒットします。
最後の1/3ほどを抜いて置きましょう。
昭和14年初め、東京で裏地が赤いマントの男が子供たちを襲うという「赤マント事件」がどんどん口コミで広がり、ラジオがニュースで事件を打ち消す騒ぎがあった。
評論家の大宅壮一は原因は「ジャーナリズム不信」と断言する。「新聞記事には興味を感じないばかりでなくそれを疑う」「書物になって市場に出ている以上、ほんとのことは書いていない」という気持ちが強く、「誰かの口から直接自分の耳へ受ける口頭ジャーナリズムが発達した」と既存メディアを批判した。
一読、大宅壮一「「赤マント」社會學」に依拠していることが分かります。但し、2013年11月20日付(30)に引いたように、大宅氏は「内容は種々雑多で、百人百説である」としていて、「裏地が赤いマントの男が子供たちを襲う」を標準的な内容としている訳ではありません。ラジオ・ニュースのことは、2013年11月23日付(33)及び2013年11月25日付(35)に引いた箇所に見えていました。大宅氏の分析を私は引用しておりませんが、2013年11月25日付(35)の注に追記したscopedogのブログ「誰かの妄想・はてなブログ版」2014-10-26「赤マントは復活するか」に引用されている「20世紀の歴史 Vol.89 日中戦争2」(1975年11月5日発行)の「「赤マント」の怪」を挙げて置きましょう。
大宅氏と同様の分析は、大宅氏よりも若干早く、9月5日付(163)に一部を引いた「經濟雜誌ダイヤモンド」第二十七卷第七號/昭和十四年三月一日号【旬評】欄の近藤操「赤マント事件の示唆」や、2016年8月2日付(152)に引いた「サンデー毎日」第十八年第十三號/三月十二日號「週間時評」欄の阿部眞之助「赤裏のマント」にも見えていました。
それはともかく、実際には昭和14年(1939)2月中旬以降で「初め」と云うほどではないのですが、とにかく小沢信男編『犯罪百話 昭和篇』への再録を参照したのでしょうか、ほぼ正確な時期を挙げているコラムが7年前にも新聞に出ていたことは、注意して置いて良いでしょう。(以下続稿)