瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(144)

 一昨日以来紹介して来た鷹橋信夫『昭和世相流行語辞典』の「事項索引」を見るに336頁、4段組(1段35行)の2段め2行めに「青マント……………………………六五」21行めに「赤マント……………………………六五」とあります(漢数字は半角)。
 62〜65頁「昭和14年(1939)/闇取引時代」を見ると下欄「& WORDS」に14項目挙がっていますが、その最後、14項め(65頁13〜29行め)に、

赤マント
東京市中に出没し女子供を襲い、生き血を吸うとか生/き肝を狙う赤マントを着たせむしの怪人のことで、昭/和14年初め、小学生の間から始まって大人にまで蔓延/した流言。赤マントにつられて青マントも現れたらし/く、「赤マント・青マント」と連呼されて子供たちを/震え上がらせた。その頃当局は、国家非常時の名にお/いて強盗、殺人、心中といった市井の事件を、新聞が/興味本位に書くことを禁じていた。評論家・大宅壮一/は【多くの読者は現在の新聞記事に以前のやうに興味/を感じないばかりでなく、それを疑ふ気持が強く働い/てゐる。新聞記事に対する一種漠然たる不信が、一部/インテリの間のみならず、大衆層の間にまでひろがり/つつあるやうだ】《中央公論・14年4月1日号『"赤マ/ント”社会学―活字ヂャーナリズムへの抗議―』》と/指摘、赤マント騒ぎを枕にして息苦しくなってきた言/論統制に一矢報いた。*1

とあります。これは2013年12月29日付(69)に引用した『大衆文化事典』の「赤マントの怪人」の原型です。『大衆文化事典』では「‥‥震え上がらせた。」と「その頃当局は、‥‥」の間に「また当時は防共教育が徹底していたから,中学生(旧制)や女学生の間では赤マントの「赤」から共産党を連想したらしく,共産党関係者の仕業と思い込んだ者も少なくなかったという。」の一文が加筆されている他は、細々とした書き換えはあるものの殆ど同じです。
 さて、私は2014年1月21日付(91)にて、大宅氏の「「赤マント」社會學」を昭和末年に小沢信男が発見して昭和63年(1988)刊『犯罪百話』に収録し、一方鷹橋氏も平成初年に小沢氏とは別に発見して平成3年(1991)刊『大衆文化事典』の項目執筆に利用した、という推測をしていましたが、実は鷹橋氏は既に昭和61年(1986)に自著に利用していたのでした。そうすると今度は、小沢氏が鷹橋氏の『昭和世相流行語辞典』を見て「「赤マント」社會學」に気付いた、という筋も引ける訳です。
 小沢信男 編『犯罪百話』に初めて触れた2013年11月16日付(26)に引いたJRT四国放送のHPの記述も、鷹橋氏の『昭和世相流行語辞典』に拠っているのではないでしょうか。(以下続稿)

*1:見出しの●は○で囲われている。なお、約物が2つ続けて使用されている場合、1つは半角になっているのだが再現できなかったところがある。