瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「ヒカルさん」の絵(2)

近藤雅樹『霊感少女論』(2)
 2014年9月30日付(1)の続き。
 この「「ヒカルさん」の絵」と云う話は、2014年4月10日付「赤いマント(130)」に触れたように、近藤雅樹『霊感少女論』155〜187頁「第六話 変貌する怪談」に取り上げられた、愛媛県松山大学に伝わる「松大七不思議」の1つで、それが「奇跡体験!アンビリバボー」によって流布したのです。
 この絵の懸かっていた加藤会館の建築家は木子七郎(1884.4.29〜1954)で、建築から生活文化を探求する季刊誌「INAX REPORT」No.189(2012.1・LIXIL Corporation)04〜16頁、特集1「続・生き続ける建築―11 木子七郎」の16頁「主な作品」項、「昭和12年[1937]」条に「松山高等商業学校加藤記念館(愛媛)」と見えています。この「加藤」ですが、松山高等商業学校設立に尽力した松山市長加藤恒忠(1859.正.二十二〜1923.3.26)か、松山高等商業学校初代校長加藤彰廉(1861.十二.二十七〜1933.9.18)のいづれかであろうけれども、松山大学のHPには沿革を余り詳しく載せていないので、判然としません。
 写真は、松山大学同窓会「松山大学温山会」の松山支部「松温会」の、2015年10月19日「第360回松温会6月例会報告」に「昭和21年当時の加藤会館」の写真が掲載されており、他の校舎が昭和20年(1945)7月26日深夜から翌27日未明の松山空襲で焼失した後だったせいか、当時の建物の全景が綺麗に収まっています。
 取り壊された時期ですが、「松山大学生活協同組合」の「松山大学生協について」の「組織と経営」の「沿革」項、「平成1年(1989)」条に「八号館建設のため、加藤会館取り壊し/購買部は軽食喫茶二階へ移転/ 書籍部は三号館へ移転」とあるのですが季節が分かりません。ここが重要なのは、平成元年度入学者が実際に加藤会館に入って絵が懸かっているところを見る機会があったかどうか、春休みなのか、夏休みなのかによって違って来るからです。同項には他に、昭和「42年(1967)」条に「加藤会館増築工事竣功」、昭和「44年(1969)」条に「加藤会館へ店舗移転、‥‥」とあって、1970年代から80年代に掛けて、大学生協が入っており学生にも身近な存在であったらしいことが察せられます。近藤氏が掲載する学生のレポートにも、173頁14〜15行め「私が所属するサークルボックスは、加藤会館の二階にあったので、授業の合間ごとに出入/りしていた。‥‥」、174頁7行め「自治会などが入って」おり、8〜10行め「新入生歓迎実行委員会や、/大学祭実行委員会など、催し物の直前になると、‥/‥夜遅く帰ろうとして、ひとりで階段を降りると、‥‥」とあって、177頁4行め「一階に生協、二階に自治会」やサークルボックスが入っていました。175頁7行め「部室」によっては「その絵の前を通らないと行けな」かったようです。
 近藤氏は次のように紹介しています。172頁15行め〜173頁10行め、

「ヒカルさん」の絵は、椅子に腰掛けた若い女性の肖像画で、同校の学生によって描かれた大【172】きな油彩画だった。この絵は、加藤会館という、戦前からあった古い建物の階段の踊り場に飾/られていた。キャンパスのなかでも、もっとも古いこの建物に、学生たちは、かなり恐怖感を/抱いていたようだ。そこには「『ヒカルさん』の絵」以外にも「秘密の部屋」や、天井に浮か/びあがる「血染めの足痕*1」など、もりだくさんの怪談があった。やはり怪談の多かった二号館/も古い建物だったが、それでも、鉄筋コンクリート造りだった。二号館の怪談は、打ち放しで/寒々とした建物の印象から誘発されたものも多かったのかもしれない。しかし、加藤会館は、/それよりもさらに古くて、陰気なムードをただよわせた老朽建築物だった。集中講義のため、/私がこの大学にはじめて出向いた平成三年には、新校舎(八号館)の建設工事がはじまってい/て、加藤会館は、すでに取り壊されていた。古いアルバムで見た加藤会館は、二階建ての木造/建築だった。


 近藤氏の調査時期は2014年4月11日付「赤いマント(131)」に引いたように平成3年(1991)から平成6年(1994)までで、初期には平成元年(1989)に取り壊された加藤会館に入って、175頁4行め「実際に「ヒカルさん」の絵を見てきた世代の学生」がいたわけですが、実際に建物を見ておらず「もりだくさんの怪談」にのみ接した近藤氏の書き方は、実態以上に加藤会館をおどろおどろしいもののように描写しているように思われます。実際には「授業の合間ごとに出入りし」たり、時期によっては、174頁9行め「毎晩、遅くまで」残っていたりしているのです。(以下続稿)

*1:ルビ「あしあと」。