・近藤雅樹『霊感少女論』(3)
近藤氏の挙げている学生レポートの内容を見て置きましょう。私は、下手な要約によって内容の伝達に支障を来す場合が多々あることから、出来るだけ原文を抜いて置くことにしているのですが、ここでは現象と場所・原因の3項に絞って箇条書きにして示しました。近藤氏は入学年や調査時期などを個々のレポートに添えていないので、ちょっと扱いが難しいのですが、まづ近藤氏が、175頁4行め「実際に「ヒカルさん」の絵を見てきた世代の学生」として挙げている、4名のレポートのうち、初めの3つ(173頁11行め〜174頁13行め)について見て置きましょう。
【現象】
・「この絵の前を通ると、目がギョロッとこちらを向く」
・「絵を指さすと、事故にあう」
・「もしも、その絵を指さすようなことをしたら、必ず怪我をする」
・「夜遅く帰ろうとして、ひとりで階段を降りると、絵の女の目がそのようすを見ている」
・「気がつくと、捨てたはずの絵が、いつのまにか、もとの位置に戻っていた」
【場所】
・階段のところにあった「ヒカルさん」の絵
・踊り場の壁に、女の絵
・階段の踊り場に、若い女の自画像
【原因】
・「絵がかかっている壁の奥は、戦争中、死体置き場に使われていた」
怪異の内容のヴァリエーションは、まぁ、絵にまつわる怪異談としては在り来たりの物と云って良いでしょう。ここで注意されるのは、4番めに挙がるレポート(174頁14行め〜175頁3行め)です。
加藤会館には、裏口から入って正面にあたる部屋の扉に、一枚の油絵が掛けてあった。/「さわった者には、たたりがある」という。その絵が「ヒカルさん」の絵と呼ばれているの/は、作者の名が「ヒカル」だからだった。実際に見たその絵は、とても暗い、どんよりとし/た色調で、少女の目は、うつろで不気味だった。仮に、階段のうわさがなくても、とてもさ/わる気がしないほどの威圧感があった。 (松本初夫)
「ヒカル」が絵の作者であることは、2014年9月30日付(1)に引いたように、近藤氏が実物で確認しています。松本君(仮名)の絵の印象は具体的で(まぁ油絵の人物画は、音楽室の音楽家ならずとも大抵威圧感と云うか、恐い感じがするものだけれども)、実物を目にしていることは間違いなさそうです。ところが絵の懸かっている場所が、松本君がこの絵と殆ど縁のなかい学生生活を送っていた(日常的に絵の前を行き来するような生活ではなかった)せいなのか、他の学生とは違っています。「裏口から入って正面にあたる」位置の「階段の踊り場」だったのかも知れませんが「扉に‥‥掛けてあった」訳ではありません。
私も高校時代に同級生から、出身中学の怪談について聞書きを行った際、同じ中学の同じ時計にまつわる怪談でありながら、人によって、如何に解釈しようとも解決のしようがないくらいの食い違いを見せていて、同じ場所にいて、同じものを見聞きしたはずであっても決して同じにならないことを痛感したのでしたが、――つい2年かそこら、前のことであっても記憶というものは違ってしまうものだ、とでも考えて置くより他なさそうです。(以下続稿)