瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「ヒカルさん」の絵(05)

近藤雅樹『霊感少女論』(5)
 次いで「成長してい」った例として2人の学生のレポートを挙げています。これは箇条書きではなく引用して置きましょう。
 1つめ(177頁4〜13行め)、

 二年前まであった加藤会館は、一階に生協、二階に自治会が入っていた。地階もあったが、/その存在を知る者は、生協や自治会関係者のなかでも、一部の者だけだった。そして、なぜ/か、地階へ降りる階段の扉は閉まっていた。つまり、その扉を開けないと、地階に通じる階/段の存在もわからなかったのである。しかも、この扉の前には、大きな油絵が掛けられてい/た。若い女が椅子に座った絵だった。じつは「この建物の地階には、戦死者の遺体が収容さ/れていた。それで、降りられないようにこの絵が飾られているのだ」と、入学した当時に先/輩から聞かされた。夜、この絵の前を通ったときに、絵の女の目が光ったのを目撃した人が/数人いる。こう言っても、信用しない人が多いと思う。しかし、実際に体験してみないと、/わからないだろう。ちなみに、本学の敷地は、戦死者を埋葬した場所だったそうだ。
                                    (沖 賢一)


 「二年前まであった」と云うのですから、これは平成3年(1991)のレポートと云うことになります。すなわち「ひとまず終息し」てから出来上がった話ではなく、文中にも述べてあるように、175頁4行め「実際に「ヒカルさん」の絵を見てきた世代の学生」か、それに近い学年と云うことになります。しかしながら、何年度の何年生(何年入学)が提出したものであったか、明示していないので、この沖君(仮名)が「実際に‥‥見てきた世代」かどうか、文中に明記されていなければ分かりようがありません。ここが、後から追い掛けて考察しようとする際に、もどかしくて仕方がないのです。――時間とともに「変貌する」と主張したいのであれば、やはり個々のレポートについて、個別のデータを示すべきでした。そうすると、或いは近藤氏の想定通りに「変貌」していないことが明らかになってしまうかも知れません。しかしながら、話の変化・発展は全ての人の間に同じ速度で進行する訳ではありません。その人の所属する集団(サークルや同じ学部の友人たち)に、本人か、本人の近くに辻褄を合わせる(合理化する)癖のある人、或いは話を面白くしてしまう癖のある人がいれば、話の内容はその人の指向に合わせて変化して行きます。逆に私意を加えずに正確に記憶し、伝えようと心懸ける人もいる訳です。そうすると、同じ時点の調査であっても、一方には嫌に芝居がかった語り(稲川淳二ほどではないにしても)になった話もあれば、一方に妙に素朴で単純な「動いた」とかどうだか程度の話が報告される、と云うことになっても、おかしくない訳です。
 そう云えば、9日24付(3)に引いた松本君(仮名)のレポートも、平成3年(1991)かと思われますが、実際に絵を見たらしいのに、掛かっていた場所が「扉」になっていました。同じ時期に同じ学校に通っていても、同じだけの知識があって同じようにものが見えている訳ではないのです*1
 ですから、提出年度別・入学年度別に、そして「松大七不思議」のレポートの中で、絵の話を取り上げた数と、その中での傾向の変化のようなものを、不完全ながらも示してもらわないと、どうも、恣意的に自分の想定した型に当て嵌められそうな例を抽出して並べているかのような、そんな印象がどうしても拭えないのです。
 そう云えば、近藤氏が173頁7〜8行め、「集中講義のため、/‥‥この大学にはじめて出向いた平成三年」と云うのも、平成3年度なのか、平成2年度の1〜3月なのか、で、レポート提出者が1学年ズレる訳です。2005年度『自己点検・評価報告書』295頁5行めに拠ると平成3年(1991)3月に8号館は出来ていたらしいので、8行め「新校舎(八号館)の建設工事」はそれ以前のこととなります。
 むしろ、この辺りの追跡調査は、現役学生や卒業生の有志(?)に期待するべきなのかも知れません。もちろん、近藤氏が書かせたレポートは過去の時点に於ける現役学生の生の声ですから、原文のまま、このように整理されない形で公開されれば、数量もまとまった報告として考察の基点として活用出来るでしょう。(以下続稿)

*1:9月28日追記】加藤会館が取り壊される以前に松山大学で学生時代を過ごしたB9のブログ「B級で行きましょう!」2010/7/17「『ヒカルさんの絵』」にて、絵の印象を語っています(「奇跡体験!アンビリバボー」も視聴しています)が「その女性は身体を少し斜めに傾けていて、髪は後ろでまとめていました。」と云う説明は、もちごめのブログ「もちごめのブログ」の2014/05/05「ヒカルさんの絵」に示される実際の絵とは異なっているようです。B9氏は学生会館(加藤会館)の「隣り」の「建物」に「所属していたサークルが入っていた」ということで、「学生会館にはそんなに頻繁に出入りしていたわけではない」のですが、強い印象を受けたようです。但し、怪異の噂や由来については特に説明はありません。