瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「ヒカルさん」の絵(06)

近藤雅樹『霊感少女論』(6)
 ここまでに挙がっていたレポートは絵の存在【場所】と怪異【現象】について、述べたもので【原因】については、あまり明確な説明はありませんでした。真偽は確認出来ませんでしたが、加藤会館に戦争中、死体安置所であった部屋があるという説を、10人余のうち4人が書いています。尤も、怪異との因果関係を「戦死者の霊が宿ったかららしい」と、はっきり(でもありませんが)書いているのは1人だけで、実際、昭和40年代に描かれた戦時中とは何の関係もなさそうな「少女」の肖像画なのですから、噂される怪異現象も戦死者っぽい血腥さとはそもそも無縁で、戦死者の線から話が展開する余地は、なさそうに思われるのです。
 さて、前回引いた「さらに成長してい」った例の1つめは、「地階に降りる階段の扉」と云うことをやたらと強調していたことに特徴があっただけで、話の内容としては特に「成長してい」るとも思えません。その点、2つめ、177頁14行め〜178頁9行めに挙がる話は、突然変異のようにあらぬ方向へ走り出したかのような発展振りを示しています。

 私が入学した前年に取り壊された、加藤会館にまつわる恐ろしい話は有名である。地階が/図書室になっていたらしい。何年も前のことだが、前期試験が終了する日に、ひとりの女性【177】が遅くまで調べものをしていた。読書に夢中になっていた彼女は、閉館時間が過ぎたことに/気がつかなかった。守衛も、彼女に気がつかずに鍵を締めてしまった。そして、学校は長い/夏休みに入った……。
 後期の授業がはじまり、再び守衛が図書室のドアを開けた。すると、そこには、かわりは/てた彼女の腐乱死体が横たわっていた。扉には、掻*1きむしった痕が無数に残っていたという。/その跡に建てられたのが、今、講義を受けているこの八号館なのだが、今でも、地下の方か/ら、夜な夜な「出してー」という声と「カリカリッ」という音が聞こえることがあるらしい。/この話を、サークルの先輩から聞いたときには、全身に鳥肌がたった。ただ、人によって、/話の内容は微妙に違う。                         (崎口照隆)


 これも「入学した前年に取り壊された」と云うのですから、崎口君(仮名)は平成2年(1990)入学で、8号館は平成3年(1991)3月に竣工したらしいので、レポート提出は平成3年度以降、順調に行って卒業年度である平成5年度までが考えられる訳です。
 近藤氏はこの話について、178頁10行め〜179頁1行め、

 ここに紹介したなかで、最後の図書室に変化している話だけは「ヒカルさん」の絵が登場し/ない。加藤会館が取り壊されてからは、在校生のあいだでも、その絵の記憶が薄れてしまい、/迫真のドラマに仕立てることがむずかしくなったからである。そして、より一層リアルな怪談/の演出に向かう過程で、絵に描かれた女性は、無残な死を迎える少女に変貌させられた。それ/は、加藤会館の取り壊しとともに「『ヒカルさん』の絵」が「松大七不思議」の主役だった時/代が終わったことを意味する。しかし、完全に息の根をとめられたのかと言うと、必ずしもそ/うとは言えない。なぜなら、その油彩画自体は、まだ大学事務局によって、学内の倉庫に保管【178】されているからである。いつの日か、また復活することもありえる。

とコメントしています。このレポートには「ヒカルさん」の絵が登場しません。しかるに崎口君(仮名)は「恐ろしい話」として学内で「有名である」ように書いています。しかしながら、他の学生のレポートに同様の報告はないようです。しかしこれも、近藤氏に提出されたレポートの全容が示されないことには確かなことは云えません。それにしても「人によって、話の内容は微妙にちがう」と云うのは、どこがどう違うのでしょうか。
 確か「奇跡体験!アンビリバボー」では、このレポートをメインに再現VTRを作っていたと記憶しています。確かに、このくらいのインパクトがないと、絵の目が動くとか、光るとか、絵から抜け出すとか、指さしたら怪我するとか、そんな噂をまとった絵は、それこそ全国の学校に存在するでしょう(しない学校もあるだろうけど)。モデルが死んだとか作者が死んだとか、そんな噂がある絵も、そこまで数は多くないにしても存在するでしょう。ですから、その程度ではテレビ向きにはなりません。これがあったからこそ「ヒカルさん」の絵はTVに取り上げられ、全国にその名を轟かす(?)ことになった、と云って良いと思うのです。(以下続稿)

*1:ルビ「か」。