・鶴川学「恐怖の"焼身自殺実況ビデオテープ"」(2)
昨日の続き。
鶴川氏はさらに、直接取材したらしい「T大の卒業生」の「証言」を引く。151頁4〜9行め、
「あの話は学内で非常に有名でした。卒業制作で悩んでいた油絵専攻の学生が大学で一番高い本/館の屋上から灯油をかぶって火をつけてから飛び降り、その様子を8ミリで撮っていたという話/でした。落っこちた先のコンクリートの地面には、焼けた学生の焦げ跡が残っていると噂になっ/ていました。自殺ビデオがあっても卒業制作であり、作品は作品なので大学も受理せざるを得ず、/いまも歴代の卒業制作が保管されている金庫にあ/ると聞いています」。‥‥
8行め(以下)の字数が少ないのは、上部にここから、前回紹介した塙興子のイラストがあるからです。それからイラストの下、左側には明朝体太字で大きく「今から十数年前――某美大で/ 一人の学生が焼身自殺を図った/ その学生はその自殺の模様を/ 固定カメラで記録した……」とのアオリが入っています。――しかし、思うのですが、誰が撮ったのでしょうか。前回引いた「要諦」にあったような「三脚で固定した8ミリカメラ」では、飛び降りる位置を決めて置けば、火達磨になって落下する様は撮れるでしょう。しかしフレームアウトして画面が煙に覆われてお終いになるだけです。或いは、屋上に地上に向けて設置すれば、最後まで撮せそうですが着火の場面が撮れそうにありません。いづれにせよ個人では一部始終を余さず「記録」することは無理だろうと思うのです。そうすると「その様子を8ミリで撮っていた」のは、依頼された友人と云うことになりそうですが、最初から焼身飛び下りと知っていて撮影したのならこの友人も尋常ではありません。自殺幇助罪にも問われることでしょう。知らずに頼まれたのであれば落下するところまでは撮ったとしても、以後は目の前に落ちて燃えている友人の消火を試みるだろうと思うのです。よく、事件や事故の現場で動画撮影を続ける野次馬が批判されています。ファインダーを通すとリアルな感覚が麻痺してしまうと云うことらしいのですが、この場合は野次馬ではなく卒業制作の撮影を頼まれるくらいの知友なのですから、流石にそのまま撮り続けていられないだろうと思うのです。
10月10日付「閉じ込められた女子学生(07)」に見た、2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」では、2004年5月28日書き込みの「26」番に「本校舎の屋上には黒いコゲ跡が未だに残っている」とあって、飛び下りの件はありません。これなら、人に頼む必要はありませんし、ファインダーから外れる可能性も低くなるでしょう。
だからと云って、それが「卒業制作」として認められるかは別問題、と云うより認められないでしょう。死亡した学生はその時点で除籍されるはずですから、たまに卒業式で、事件・事故や災害で死亡した生徒の遺族に、卒業証書を渡したことがニュースになりますが、卒業生の人数にはカウントされていないはずです。仮に卒業制作としての書類を揃え、フィルムにも着火前に本人がこれは卒業制作である、と謳っていたとしても受理される訳がありません。大体、警察に証拠品として提出されるべきものですし、遺族がこんなものを大学に受理させるとしたら、それこそどうかしていると思わざるを得ません。
それはともかく、鶴川氏にこの証言をした卒業生がいつ頃在学していたのか、そして在学当時、何年前の話として語られていたのか、そう云った辺りの情報も欲しいところです。
鶴川氏は続いて「現役のT大生」の「証言」を示します。151頁10行め〜152頁1行め、
「10年位前に学生が自分が死ぬ様子をビデオに撮影して卒/業制作で提出したという噂は聞いているけど、さすがにこ/んなものを卒制として預かるわけにいかないと大学側が決/めて、いまも自殺した学生が属していたゼミの研究室の棚【151】に封印されているらしい」。‥‥
こちらは私の考えついた疑問点が一応合理化されています。要するに(遺族も含めて)持て余して、そこまで気持ちの籠もったものを廃棄するのも躊躇われて、ゼミで誰にも見せずに保管している、と云うことでしょう。なお、屋上から飛び下りたのか、飛び下りなかったのかがこの記述では分かりませんが、前回引いた「要諦」が鶴川氏の取材に基づく標準形だとすれば、これも飛び下りがあったと考えるべきなのでしょう。
この鶴川氏のレポートが「不思議ナックルズ」の何年の何号に掲載されたか、まだ確認していないのですが「不思議ナックルズ」の創刊が平成16年(2004)ですから、10年前は大体、平成1桁の後半と云う見当になりそうです。(以下続稿)