瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「ヒカルさん」の絵(4)

近藤雅樹『霊感少女論』(4)
 近藤氏は続いて、175頁5〜6行め「‥‥。この怪談は、加藤会館が取り壊され、絵が撤去された後も、しばらくのあいだは、実際/に絵を見ていた先輩たちから、新入生たちに語りつがれていた。」として、175頁7行め〜176頁11行めに3名のレポートを紹介(12〜13行めにも1名のレポートを一部引用)しています。
現象
・その絵は、どこにいても自分の方を見ているそうだ。
・はずしても、また戻ってくるということだった。
・「‥‥。はずしても、はずしても、また掛かっている」
・「‥‥、はずしても、はずしても、また戻ってくる」
・「‥‥、絵の人物が、夜になると歩きまわる。‥‥」
・その絵は、よく動いていたという。
・この絵の女性が「椅子から立って、学内を徘徊する」
場所
・今は、学生課に保管されているらしい。
・「加藤会館を壊すときに、倉庫にしまわれた」
・「戦争中、死体置き場にされていた部屋にあった。‥‥」
・「日のあたらない、暗い踊り場にあった。笑って座っている女の肖像画で、‥‥」
・「踊り場にあって、‥‥。モデルの名がヒカルだった」
原因
第二次世界大戦のころは、死体安置所・処理場だったらしい。死体安置所のあった場所が八号館で、五年前までは、加藤会館があったらしい。そこには、女性を書いた一枚の絵があり、‥‥。戦死者の霊が宿ったかららしい。
 ここでは2番めに挙がる「いろいろな人にたずねてみた」と云う女子学生レポート(175頁12行め〜176頁8行め)が最後に挙げている証言(176頁5〜8行め)について見て置きましょう。

‥‥。三十七歳になる学務課職員のOGは「絵の女/の目が『夜になると光る、動く』と、うわさされていた。日がささない、暗い踊り場に飾っ/てあったけど、薄気味悪いというのではずされた。今は、地下倉庫にあるらしい。作者は、/OBで、名前もわかっている」と教えてくれた。              (国本 妙)


 国本さん(仮名)は、175頁12行め「平成三年に入学してすぐ、新入生歓迎委員から」この「ヒカルさん」の絵の話を聞いて、それから「心理学研究部の二回生」と「文芸部の四回生の女性たち」に聞いています。近藤氏の講義を受講してレポートを提出した時期は示されていませんが、上級生たちの学年の示し方からして、平成3年度中のように思われます(違うかも知れませんが)。そうするとこの女性職員は平成3年度に37歳、昭和29年度かその前年の昭和28年(1953)の生れと云うことになります。昭和29年(1954)生れだとして、現役合格だと大学生だった時期は昭和48年(1973)から昭和52年(1977)、「ヒカルさん」の絵が描かれたのは2014年9月30日付(1)に引いたように昭和45年(1970)12月ですから、その数年後に学生生活を送っていることになります。しかし、職員として大学に残っているので、この人の学生時代から評判だったのか、それとも職員として勤めるうちにこのような評判を聞くようになったのかが、はっきりしません。現役学生時代からだとすれば、ごく早い時期から行われていたことになりますが、この辺り、近藤氏の方で直接この職員に確認しても良かったのではないか、と思います。ところで、「はずされた」というのは加藤会館取り壊し後に「倉庫にしまわれた」理由が「薄気味悪いという」ことだったのでしょう。
 ちなみに、国本さん(仮名)のレポートは、「「ヒカルさん」の絵」の節に続く、181頁4行め〜187頁17行め「「七不思議」の秘密」にも引用されていますが、これについては後ほど見ることにします。
 それはともかく、近藤氏はこれらのレポートを引いて、176頁14行め〜177頁3行め、

「ヒカルさん」の絵を題材とした怪談は、加藤会館が取り壊され、絵も撤去されてからは、リ/アリティを失って恐怖感を与えることができなくなっていったことがわかる。そのために、こ/の怪談は、ひとまず終息した。しかし、だからといって、怪談がなくなったわけではない。そ/の後、絵そのものから離れて、さらに成長していく。加藤会館の内部にあったという「秘密の/部屋」にリンクされるのである。

という筋を引こうとします。しかしながら、この筋は――「ひとまず終息した」と云ってしまうのは、どうも結論を急いだ嫌いがあります*1。(以下続稿)

*1:広坂朋信のブログ「恐妻家の献立表」の2009-08-10「『霊感少女論』の怪」にも突っ込まれていましたが、どうも、近藤氏は自分の頭の中で引いた筋を必要な情報を全て示さずに押し出して来るものだから、鵜呑みにして良いものかどうか、不安になって来ます。近藤氏の手許に残されていたであろう学生レポートを、近藤氏の所属先であった国立民族学博物館には、個人情報に配慮(近藤氏が『霊感少女論』引用に際して附けた仮名に改める等)した上での公開を、検討してもらいたいと思っております。