瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「ヒカルさん」の絵(07)

近藤雅樹『霊感少女論』(7)
 近藤氏は「「ヒカルさん」の絵」の節に続く「「七不思議」の秘密」の節に、「松大七不思議」を継承し続けている学生たちの意識を問題にして、何人かの見解を引用していますが、その中で9月25日付(04)に触れた国本さん(仮名)のレポート(185頁6〜11行め)に、185頁9〜11行め、

‥‥。戦前からあった加藤会館が、平成元年に壊された。舞台と道具立/てが消滅した今、あの「『ヒカルさん』の絵」が、いったい、どのように展開して語りつが/れていくか、興味がある。

とあるのを承けて、185頁12〜13行め、

 国本さんの展望と期待にたいしては、先に示した通りである。腐乱死体となる運命の女性の/登場によって「松大七不思議」は、またひとつ、新たな展開を見た。

とコメントしています。
 国本さんの前に掲載されている赤城君(仮名)のレポート(184頁8行め〜185頁5行め)の、2段落め(184頁13行め〜185頁5行め)を抜いて置きましょう。

 ところで、私が一年生のころは盛んだった「七不思議」も、最近は、風化してきて、下級/生などは、まったく知らないようだ。怪談の舞台や道具立て、たとえば、もっとも恐ろしい【184】存在だった「ヒカルさん」の絵などが、建物ごとなくなってしまったために、真実味が薄く/なったからだろう。身近にあった建物がなくなったとき、怪談の威力も失われた。だが、こ/うした語り部*1的な伝承は、新しい作品をとり入れて、また、数年後に復活するだろう。学校/自体がひとつの文化的存在であるため、その内部で伝承されるのである。「七不思議」は、/そうしたもののひとつだろう。                      (赤城雅弘)


 これらの見解は、ある程度、講義に於ける近藤氏の説明を承けてのものでしょう。9月25日付(04)の最後に引用した、近藤氏の「ひとまず終息した」と云う見解は、この赤城君(仮名)のレポートも有力な根拠としているようです。しかしながら、赤城君が「一年生のころ」が何年なのか分からないので、まだ当時、加藤会館があったから「盛んだった」のか、それとも加藤会館は取り壊された後だったけれども、まだ当時、加藤会館を良く知る先輩が身近にいたから「盛んだった」のか、がイメージ出来ません。
 それはともかく、「数年後に復活するだろう」と云う予言(?)の通り「ヒカルさん」の絵は復活するのですが、それは「文化的存在」の「内部」からではありませんでした。――『霊感少女論』刊行から3ヶ月余にして全国放送のテレビ番組に於いて、再び「ヒカルさん」の絵を前面に押し出した、新たな展開が加速していくことになる訳です。(以下続稿)

*1:ルビ「べ」。