瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「ヒカルさん」の絵(08)

近藤雅樹『霊感少女論』(8)
 「奇跡体験!アンビリバボー」放映直後の松山大学(の学生)の反応、そしてその後現在までどのような展開を示しているのか、興味のあるところですが、私は松山には行ったことがなく知合いもいないので、そういう興味を満たすことが出来ません。「奇跡体験!アンビリバボー」も動画サイト等に上がっていないらしく、どのような取り上げ方がされたのか、の詳細は、私も含め、この放送に興味を持った誰もが(自分で録画でもしていない限り)確かめられないままでいます。
 これまで紹介して来た断片的な要素を組み合わせたものが、2ch「最も恐ろしい絵」の2007年9月12日の書込み「157」です。

ヒカルさんの絵に関して詳しいことが言えるのは、昔松山大学に/まじめな学生がいた。
その学生が「ヒカル」と言う名前で彼女には恋人がいた。
その恋人は絵画サークルに入っていて、彼女をモデルに絵を描きたいと/いい、彼女もそれを承諾した。彼女は大変気に入った。
そして夏休み中、まじめだったので、誰も居ない大学のある部屋で/勉強をもくもくとしていた。
遅くって*1帰ろうとした時、警備員が彼女が中にいるのを分からなくて/鍵を閉めてしまった。
そして夏休みが終わるまで彼女は誰にも気づかれずに死んだ。
新学期になった頃、その部屋で遺体が発見された。その遺体は/骸骨のようだったという。
そして、彼女の怨念は絵に入り込んだということだ


 この書込みは2ch「【怖い絵画】芸術に関する怖い話6枚目【怪談話】」の2009年3月13日の書込み「744」にも引用されています。文章の整っていないところもありますし、投稿者の素性(すなわち情報源)も分かりませんが、確かに「ヒカルさん」の絵と閉じ込められた女子学生の話を組み合わせて辻褄を合わせるとすれば、このような内容になるでしょう。――ここでは「ヒカル」は、モデルの名前になっています。それから、戦死者や閉じ込められた女子学生など、絵が懸かっている【場所】の近くで、思いを残して死んだということになっていたのが、ここでは曖昧になっていますが、そこはまぁ、自分の絵なのですから霊が宿る【原因】としては最も必然性のある説明になっている、と云えましょう。
 怪異【現象】には触れるところがありません。――いよいよ『霊感少女論』刊行から「奇跡体験!アンビリバボー」というインパクトを与えられた「ヒカルさん」の絵の噂が、当の松山大学で現在に至るまでどのように学生たちに引き継がれて来たのか、知りたいところです。

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 もちろん、こんな事故が実際にあったとは常識的には考えられない訳で、「Yahoo!知恵袋」にも2014/8/20「よく都市伝説や学校の怪談で閉じ込められる話ってありますよね。 明日から夏休み...」との質問がありました。
 確かに、現在の学校や図書館などの管理状況からして、まづ有り得ないでしょう。しかし平成初年であれば、現在のようにLINEやtwitterFacebookInstagramもありませんでしたし、携帯電話を持っていなくても別に構わなかった時代なので、長期休暇に全く連絡を取らないで過ごすようなことも、あり得た訳です*2。親許を離れて1人暮しをしている学生が、いなくなっても帰省したと思われるでしょうし、……まぁ、実家の方で夏休み明けまでに何もしないとは思えないので、お盆の辺りで捜索願いくらい出しそうなものですけど。
 それはともかく、この手の話がかなり広まっていると云う印象を質問者は抱いていて、特に「ヒカルさん」の絵には触れていませんが、当時のテレビの影響力を考えれば「奇跡体験!アンビリバボー」がこの手の話の流布に果たした役割は大きかったろうと私には思われるのです。しかしながら「奇跡体験!アンビリバボー」以前がある訳です。すなわち、松山大学には「奇跡体験!アンビリバボー」以前からこの話があった訳です。かつ、「奇跡体験!アンビリバボー」以前からこの話があったのは、松山大学に限らないらしいのです。(以下続稿)

*1:原文のまま。「遅くなって」とあるべきところ。

*2:私は未だに携帯電話も持っていないし(それほど連絡を密に取る相手もいなし、そういう連絡を必要とする仕事でもないので)LINEやtwitterFacebookInstagramもやらないので、未だにそこで時間が止まったままですが。