瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(11)

 昨日の続き。
 前回問題にした小池氏の、複数の人に取材したかのような、断片を小出しにするような、もしこのような内容を知っているとすれば余程当事者に近い人物から聞き取ったとしか思えないのに取材源を明らかにしない、書き振りは、ただ単にライターとしての、読者の好奇心をくすぐる技巧に過ぎないのかも知れないけれども、疑り深い私などからすると本当に信用出来る情報源に当ったのか、それこそこの「後日談」自体が事情通を騙る人物に拠る、都市伝説並の妄誕に過ぎないのではないか、と不安な気分にさせられるのである。何しろ60年近く前の話なのである。――具体的に“誰”から聞いたのか、まで知ろうとは思わない。けれども、どの辺りから出て来た話なのか、くらいのことを書くのに、差障りがあるとも思われない*1。そこを頬被りして済ませたのでは、かつて2013年4月12日付「常光徹『学校の怪談』(003)」に引いた座談会にて常光徹を批判して「きっちり記録しておけるものはしておかないと」と発言していたことと、矛盾することになるのではあるまいか。
 中川鉄橋の自殺に関しては、やはりまだ週刊誌を調べに行く余裕はないので(この2年半の間に、別の用事で当時の週刊誌を所蔵する館を訪ねたことはあるのだが)昨日の投稿はしばらく今後の自らのmotivationとして、今は小池壮彦『日本の幽霊事件』142〜156頁「追って来る屍体………………中川鉄橋」に関連して気付いた、別のことどもについて済ませて置くことにする。
 2014年5月2日付(4)に、この章の冒頭部を抜いて置いた。そこで小池氏は、稲川淳二の怪談「生首」と「追ってくる上半身」に言及している。
 私は、1月23日付「子不語怪力亂神(2)」等に述べたように稲川氏の怪談は苦手なのだけれども、やはり怪談の発生と展開を考える上で、その影響を無視して通る訳には行かぬので、たまに8月16日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(1)」に①を取り上げた竹書房文庫のシリーズを借りて、何となく眺めている。文字にすると耳で聞いたときほどわざとらしさが気にならない。
竹書房文庫『ライブ全集②'96〜'97 稲川淳二の恐怖がたり〜憑く〜』2002年6月5日初版第1刷発行・定価648円・408頁

稲川淳二の恐怖がたり―憑く (竹書房文庫―ライブ全集)

稲川淳二の恐怖がたり―憑く (竹書房文庫―ライブ全集)

竹書房文庫『ライブ全集③'97〜'98 稲川淳二の恐怖がたり〜怨み〜』2002年8月6日初版第1刷発行・定価648円・347頁
稲川淳二の恐怖がたり―呪い (竹書房文庫)

稲川淳二の恐怖がたり―呪い (竹書房文庫)

竹書房文庫『ライブ全集④'99〜'00 稲川淳二の恐怖がたり〜呪い〜』2002年9月5日初版第1刷発行・定価648円・396頁
稲川淳二の恐怖がたり―怨み (竹書房文庫―ライブ全集)

稲川淳二の恐怖がたり―怨み (竹書房文庫―ライブ全集)

竹書房文庫『ライブ全集⑤'01〜'02 稲川淳二の恐怖がたり〜蠢く〜』2005年8月11日初版第1刷発行・定価648円・390頁
稲川淳二の恐怖がたり―蠢く (竹書房文庫―ライブ全集)

稲川淳二の恐怖がたり―蠢く (竹書房文庫―ライブ全集)

 小池氏の言及する話は②に収録されている。序文(はしがき)に当たる、8〜12頁「ライブ10周年に思う」の最後の段落(12頁2〜6行め)に、

 今回ここでご紹介しているお話は、今現在ツアーやなんかでお話している内/容とは、少し違ったりしています。お話はすべて初出で、ライブで最初に話し/たものを再現してるんです。当時のライブの雰囲気をそのまま味わっていただ/くため、話の内容は当時のものを忠実に再現してありますからね、その点、ご/了承いただきたいと思います。

とあって、平成8年(1996)の「MYSTERY NIGHT TOUR 1996 稲川淳二の怪談ナイト」及び平成9年(1997)の「MYSTERY NIGHT TOUR 1997 稲川淳二の怪談ナイト」にて初披露した話を、初出のまま収録しているというのである。
 「生首」は、223〜304頁「第四章 死者はよみがえり、生者は脅える」として7話収録するうちの5番め(273〜279頁)で題は「最終列車、夜釣り、ザルの中にあったものは…/じいちゃんは川で、とんでもない"もの"に遭遇した(1996)」と長たらしく、目次も同じ*2だが、カバー折返しに収録している全ての話の通し番号と短い題が示されており、この話はカバー裏表紙折返しに「26 魚篭に入ったもの」と見えている。273頁7行めに稲川氏も「怪談じゃないんだけれども」と断っているように、ありうべき実話として紹介されている。その由来は1行分空けて8行め〜274頁2行め、

 それは、福岡のおじいちゃんがくれた手紙なんですが。
 そうだな82歳ぐらいになる、人かなあ。原稿用紙ですよ、ちゃんとした。その原/稿用紙に書いてきたんですよ。
 自分の若い頃の経験、体験なんだということなんですがねえ…………。
 
 戦後の話なんですが、戦後と言っても戦争が終わって間もない頃ですよ。まだお/じいちゃん、若いですわね、その頃。でー、‥‥

とあるから、長い方の題に「じいちゃん」とあるのはどうかと思う。それはともかく、平成8年(1996)に満82歳とすれば大正3年(1914)生と云うことになる。ところでこの話の最後、279頁4〜6行め、

 そういう体験が、あります、って。
 こりゃ、怖かったなあ―――――さすがの私もこれ聞いて―――――驚きました/よ―――――――もう――ね――。

となっているのだが――「手紙」と違うんかい、と突っ込んで置く。
 「追ってくる上半身」は、147〜221頁「第三章 禁忌ににじり寄られ露になった“闇たち”*3」として8話収録するうちの5番め(180〜187頁)で題は「人間じゃないもの見ても、子供の頃は、/それがなんだかわからない時が多いんだ(1996)」で、カバー表紙折返しでは「18 見知らぬ女の子」と題されている。話の由来は冒頭、180頁3〜9行め、

 このライブ、ねえ。
 千葉の市川でもやったんですよ、早い時期に、今年のツアーでねえ。
 市川のライブ終わったら、楽屋裏に、20歳過ぎくらいの、若者が、私のこと、待/ってたんですよ。
 青年で、
「稲川さん、子供の頃のことで、今でもはっきり覚えていて、忘れられないことが/あるんです。それを、ぜひ、聞いてもらえないでしょうか」

と云うことで聞くことになったのだが、181頁4行め、語り手の青年が「幼稚園か、あるいはもっと小さかった時」に目撃したと云う妖怪(?)は、184頁10行め・186頁13行めに「上半身だけの女」とされ、184頁11行めに「制服を着てたって、いう。襟なんかボロボロで、‥‥」とあって、学校の制服だとしたら少女と云うことにはなりそうだが、特に年代や容姿に関する描写はない。それよりも、語り手と同年輩らしい、一緒に屋敷の廃墟に侵入してこの妖怪(?)を目撃した、182頁6行め「いとこの女の子」、これも183頁5・10行め・184頁15行め・185頁5行めでは単に「女の子」と呼ばれているから、カバー折返しの題は紛らわしく、適当ではない。
 確かにHP「稲川淳二の怪談ナイト」の「怪談ナイトの歴史」を見るに、平成8年(1996)に全国13箇所で15公演しているうちの2回めが「7月27日(土)市川ニッケコルトンホール」なのである。語り手の年齢が稲川氏の見当で合っているとすれば、昭和55年(1980)頃の体験と云うことになる。
 さて、小池氏は気付いていないらしいのだけれども、カバー折返しの題を見ていくと、カバー表紙折返しに「 8 追ってくる上半身」とあるのである。――この本にはもう1話、人体が切断されてまさに「追ってくる」話が載っているのである。(以下続稿)

*1:或いは、連載時に見付けられなかった当時の文献をその後見出したのかも知れない。だとすれば、その典拠を明示して記述すれば良いので、いよいよこんな思わせ振りな書き方をする必要はないのである。

*2:読点と二重引用符が全角になっている。

*3:ルビ「あらわ」、目次では二重引用符は半角。