昨日の続き。
この話は鉄道人身事故ではないのだけれども、話の型は2014年4月21日付「鉄道人身事故の怪異(2)」に紹介した、松山ひろし『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』に云う「踏切事故伝説」と全く同じなので便宜上、一括して済ませて置く。
竹書房文庫『ライブ全集②'96〜'97 稲川淳二の恐怖がたり〜憑く〜』のカバー表紙折返しでは「 8 追ってくる上半身」と題されている話は、83〜146頁「第二章 日常に開けられた、あの世へのトンネル」として7話収録するうちの2番め(88〜95頁)で「真っ暗な原野で交通事故の死体と過ごした/彼が、闇の中で見たものは幻想か現実か(1996)」との長い題が附される。
北海道で、夜、人が上半身と下半身に轢断され、当然死亡していると思っていたのが上半身が動いて、加害者側の人間を這って追い掛ける、追い掛けられた人間が電柱に登って助かる*1、と云う流れは一致している。
違っているのは、まづ冬の話ではないこと。――季節は示されないが、雪原であるとか、寒いとか、そういう描写はない。
そして、鉄道事故ではないこと。88頁3行め「ある男性が友達と一緒に、車に乗って」4行め「北海道の一本道」で5行め「道の両側、草むらと、畑と、森がどこまでも広がって/るだけ、町中じゃなくて、原野を走っていた」ところ、9行め「突然」89頁3行め「人」を「轢い」てしまう。そもそも、89頁14〜15行め「畑のど真ん中/にある道。なんにもない、畑しかない一本道なのに*2」人に気付かなかったのが、13行め「おかしい」のだけれども、死体の素性については結局何も明かされないままである。そんな異常な出現の仕方をした人物が、どこのどんな人なのかは、かなりの興味が払われて然るべきだと思うのだけれども。
そこで運転していた1人が、同乗していたもう1人を現場に残して、警察に連絡しに現場を離れる。今なら携帯電話で連絡するところだろうが、平成の初年は、通話エリアが拡大している様子を地図にして掲示していたような時期で、人口密度の低い北海道では携帯電話の使えない(つまり住民が携帯電話を持っていない)地域もかなりあったと思う。他に通る車もなければ、自分たちが通報しに出向くしかない訳で、1人が14〜15行め、月「灯りの中で、血だらけの死/体と一緒にいる」ことになったのだが、「やはり怖い」ので、91頁2行め「ず―――っと向こうに、街灯が見えた」ので、6行め「結構、距離がある」のを「歩いて、歩いて」、10〜11行め「街灯の/下でただひたすら待っていた」ところ、12行め「そのうちに」、13行め「シュ――――シュ―――――――シュ―――」と云う音が、92頁5行め「死体のあるほうから、聞こえてくる」。しかも、9行め「なんか、死体がさっきあった場所よりも、こちら側に近づいてきたよう」で、12行め「音」も「大きくなってきた」。なんと、93頁5〜6行め「死体の半分」下半身はそのままなのだが「後/の半分、上半身が、こっちに向かって動いて」いるのである。しかし、8行め「明かりがあるの」は、9行め「そこしかない」から、8行め「逃げるわけにいかない」。
ところで、稲川氏は11行め「歩いてくる―――――死体が――――こっちに――――」と言っているのだが「歩いてくる」とは、足のない上半身がどう動くことを云っているのであろうか?
それはともかく、94頁6行め「最後の手段」として「とっさの機転」で、5行め「彼、街灯に上がっちゃ」う。6〜7行め「死体」は「街灯の下まで、来て、上がろう/とする」が「足がないから」、8行め「つるつる滑って」上がれない。それを見ながら10行め「助けてくれよ!」12行め「助けてくれ!」と叫んでいるところで、14行め「なにやってんだ!」と、95頁1行め、到着した「警察」に言われる。残りは原文をそのまま出して置こう。95頁2〜10行め、
彼、もうしどろもどろで、“死体が、街灯に上がってこようとしていて” って訴/えたんだけど、“馬鹿、なに寝ぼけてるんだ” って一笑に付されて―――。
死体、現場に、そのまま残ってたそうですよ……………………。
「稲川さん、幻覚と言われれば、幻覚かもしれないけど、私は確実に、それに追わ/れたんですよ」
警察の現場検証が始まって…。
確かに、そこにあった死体は、自動車事故では珍しく、胴体が、“真っ二つ”だっ/たそうですよ――――――。
幻覚かもしれない、そういう話を、彼からね、聞かせてもらいました…。
稲川氏が、体験者から直接聞いたことになっている。尤も、体験者と云っても幻覚で、街灯の下まで血の後が続いていたとか、そんな訳でもないようなので、まぁ、本人が見たと云えば、見たことになるわけだ。体験談は扱いづらいと私が思う理由は、ここにある。まぁ幻覚だから、死体だと思ったのは実はまだ生きていて、それは北海道の寒さに傷口が凍って出血が抑えられたからだ、みたいな尤もらしい説明は、必要なくなっている。
しかしやはり、本当だろうか、と思ってしまう。すなわち、――鉄道事故なら、幅の狭い金属が噛み合うのだから、轢断されるだろうと思う。しかし、タイヤのような面積の広いもので、物理的に“真っ二つ”になるのだろうか、と。
それ以上に疑問に思うのは、稲川氏にこの話をした88頁3行め「ある男性」が、途中で入れ替わっている(?)ことだ。すなわち、――90頁4〜7行め、
したら、運転していた彼が、友達に、
「悪いけど、お前、ここに残ってくれないか。現場は、まだよく見なければわから/ないけど、俺、町まで行って、とにかく警察呼んでくるから、ここに残ってくれな/いか」
とあるところからして「ある男性」とは「運転していた彼」であって、現場に残されたのが、8行め「友達はやだよなあ」11〜12行め「友達、そこで待つことにな/った」とあるところからして「友達」のはずである。ところが、先に引用したこの話の最後では、現場に残された方が「彼」すなわち稲川氏にこの話をした人物になっていて、「稲川さん」と呼びかけつつ「私は確実に、それに追われたんですよ」と話して聞かせたことになっているのである。
確かに、途中で残された方の体験を語ることになるのだから、視点が途中で移動するのは構わない。しかし、最後には、また元に戻さないと、流石にまずいんじゃあないだろうか。(以下続稿)