瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤い半纏(14)

ザテレビジョン文庫42『稲川淳二の怖い話 ベストランキング!!』(2)
 2016年11月24日付(13)の続き。
 13〜52頁「第一章 一番最初に語った怖い話」の前置き、14〜15頁「一番最初に語った怖い話」の冒頭を抜いて置きましょう。14頁2〜7行め、

「赤いはんてん」とかは、古いですよね。
「赤〜いはんてん着せましょか」っていうのは、私がラジオ番組で作ったフレーズなん/です。
 はっきり覚えていないんですが、たぶん、ラジオ番組で私が一番最初に話したのは、/もしかすると「赤いはんてん」か、「山中湖の話」か、さもなければ岩手の盛岡の「菊屋/旅館の話」か、その辺から入ってるんじゃないかと思うんですよね。*1


 続いて岩手県盛岡市のことが語られますがそれは省略して、最後、1行分空けて15頁6行め、

 で、今回は「赤いはんてん」と「山中湖の話」を。

と云う訳で、17〜21頁「赤いはんてん」、続いて23〜52頁「山中湖の話」が語られます。
 2016年1月17日付(03)に触れた『MYSTERY NIGHT TOUR 稲川淳二の怪談 Selection 13』収録の「赤い半纏〈完全版〉」は35分ありますが、頁数からも分かるように「赤いはんてん」はごく短い話です。その理由の第一は〈完全版〉に追加された「後日談」がないからです。これは2016年1月18日付(04)に引いた平山夢明との対談『怖い話はなぜモテる 怪談が時代を超えて愛される理由に拠れば、完全版を口演した平成19年(2007)に明らかになったとのことで、私はどうやって明らかにし得たのか、知りたくて堪らないのですが、「後日」判明した秘められた由来談であって所謂「後日談」――その後どうなったのか、の説明ではありません。それも知りたいと思っています。だって、怪談の中の学校では随分多くの人が血みどろになって死んでいますが、一体どのように始末したものか、それも大いなる謎だからです。それはともかく、平山氏との対談で稲川氏の語った「後日談」は2016年1月19日付(05)に引いた通りですが、便所で起こった怪異そのものも、実はかなり違っているのです。(以下続稿)

*1:ルビ「やまなかこ・きくや」。