瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『ゼロの焦点』(11)

帝国書院編集部『松本清張地図帳』(5)
 一昨日からの「【資料編】清張作品の点と線」に見える本作関連の記述について。
 90〜91頁「清張映画・ロケ地探訪」には4作品を取り上げており、90頁は全て「『張込み』(1958年)」に充てられています。91頁の上段が「天城越え』(1983年)」で、中段左が「ゼロの焦点』(1961年)」右が「砂の器』(1974年)」下段は「松本清張小説の主要映画化作品」上記4作品を含む26作品を「制作年」順に「原作(収録文庫本)」を添えて列挙してあります。
 本作の紹介文には、明朝体横組みで、

 主人公と犯人との断崖の上での対決、真相の解明といっ/た筋書きは、厳密には原作にはないが、後のテレビの二時/間ドラマなどでのお定まりの演出パターンの元祖となった。

とあります。――この辺りの原作での設定は5月29日付(06)でも確認しましたが、新婚の夫・鵜原憲一の失踪後、その行方を追っていた義兄・鵜原宗太郎と夫の後任・本多良雄が毒殺され、ヒロインの鵜原禎子がようやく真相を突き止め、犯人に迫ろうとするのですが、犯人の社長夫人・室田佐知子は冬の荒れた日本海に小舟で漕ぎ出して自ら命を絶とうとする直前で、崖の上には室田社長がいるばかりでした。室田社長も真相を突き止めており、越年のために毎年逗留している和倉温泉の旅館で問い詰めて夫人に白状させていたのです。しかし、眼を離している隙に逃亡され、既に崖の上から沖を眺めるしかなくなっていた、と云ったようなことをヒロインに語ります。従って「犯人との断崖の上での対決」ではありませんし、崖の上では、それまでヒロインが長い汽車旅の車中で推理してきた「真相」が、そのままごくあっさりと犯人の夫によって追認されるに過ぎず、ここで初めて「解明」された訳でもありません。そういう意味で「厳密には」としている訳です。
 「二時間ドラマ」の定型の元祖となったことは5月28日付(05)に引いた関川夏央『昭和三十年代 演習』にも指摘されていましたが、映画の設定を原作と混同しており、私は感心しません。いえ、別に識者の指摘をまたなくとも、普通に気付くレベルのことで、私もこの野村芳太郎監督の映画を初めてDVDを借りて見たとき、白黒の古めかしい画面で、今は滅んでしまったであろう、うら寂しい能登の情景であるにもかかわらず、そこで余りにも見慣れた「二時間ドラマ」らしい展開がなされることに、妙な興奮を覚えてしまったものでした。(以下続稿)