昨日の続き。
・山岸凉子スペシャルセレクションIX『鬼子母神』(12)
この、常軌を逸した梨本家存続計画は、3月2日のシズオの言動から察せられるばかりではありません。3月5日、弥生が梨本家を離れるに当たって、別れ際に影尾医師からも説明されています。398頁5コマめ〜401頁3コマめ、
弥生:「影尾さんにひとつだけ おききしたいことが…/私がここへよばれた本当の理由はなんだったのでしょう」【398】
影尾:「今度のことは全部忘れて下さい 弥生さま」/
弥生:「いいえ おしえて下さい! なぜって私は…シズオが…」/
影尾:無言の横顔/「ご隠居さまはあなたを養女になさるおつもりでした/ご隠居さまはどうしても……/静音さまの子供がほしかったからです」/
弥生:呆然/「では 私と…シズオを」【399】
影尾:「そう 表面上は私と静音さまの結婚でもあとつぎはほしかったんです」/
弥生:見開いた目/「あ あなたはそれでもかまわなかったのですか/それが主従関係というものなのですか そんなバカなことが………/あなたは男とわかっている静音さまと仮の結婚をしてもかまわなかったというのですか」/
影尾:「主従関係だから私がしたがったとおもうのですか/私は…愛していたのです/静音さまを」【400】
弥生:絶句/
影尾:目を伏せる/
弥生:(感情を表さない影尾さんの瞳の中に/すべての苦悩をみて私はこの地をはなれたのです)/
弥生は影尾医師の、同性同士の結婚と云う異常事態と「静音に対する愛」の告白に衝撃を受けて、冷静に考えられなくなっているようですが、――これは異常な、弥生にとってはとんでもない計画としか言い様がありません。もちろん、静音の裁量で、肉体関係を強制するのではなく、お互いに不幸な宿命の下に生まれたのだと弥生を説得して、ソフトに関係を結ぶことを承服させることも不可能ではなかったでしょう。同情が愛に変わるなんて昔は云いましたっけ。弥生が美しい静音に愛情を抱くことも、ないことではないでしょう。しかしながら弥生は、そこまでの危機に直面せずに済んだこともあって、影尾医師から上記のような、自分が梨本家に招かれた事の真相を聞かされても、もし計画通り遂行されていたら自分がどんな目に遭わされたのか、全く考えもせずに、ただ影尾医師の梨本家・ご隠居さまに対する忠義、そして衝撃的な静音への深い思いとに感じ入ってしまうばかりなのです。
弥生は、静音が「おばあさま」と、祖母にどこまでも忠実な女中の「淑さん」を道連れにして屋敷に火を放つ直前に、自分を逃がしたことを知って(と云うか、察して)、397頁3〜5コマめ、
弥生:焼け跡を見詰めて(シズオ… あなたはわざと私に桃の枝をとってこいなんて…)/
弥生:目を伏せて落涙(その間に火をつけたのですね)/
弥生:天を仰いで落涙(なぜ そんなばかなことを/あなたは もっと生きるべきだった 生きていいはずだったのに)
と、その死を深く惜しむのですが、いろいろな衝撃から冷静な判断が出来なくなっているとしか思えません。
――考えても見て下さい、首尾よく(?)静音の子供を産んだとしても、それは表向きは入婿の雪*1と女当主・静音*2の間に出来た子供としてお披露目されるので、弥生は完全に日蔭の身として過ごさないといけません。もちろん梨本家に軟禁状態に置かれ、自由に外出することも許されず、そして静音が死んでしまったとしても生涯、秘密を守るために雪によって梨本家に軟禁されたまま、京子たちと自由に連絡を取ることも許されずに過ごすこととなったでしょう。或いは子供が生き甲斐になったかも知れませんが、顔の似た血のつながりのない*3叔母さんとして接するしかありません。最悪のケースは不首尾に終わった場合、――手籠めにされた上に子供も出来なかったとしたら、それでも秘密の保持のために梨本家からは出られなかったでしょうから、……目も当てられません。
ですから、そういうことに耐えられずに、この時機を捉えて梨本家を滅ぼした静音の決断に、弥生は感謝こそすれ、残念に思う必要はなかったのです。……いえ、残念は残念ですが、しかし、旧家の因襲に既に巻き込まれて苦しんでいる静音としては、何にも知らない弥生を巻き込んで、これ以上負の連鎖の“共犯”を増やして苦しめたくなかったのです。そのためには梨本家を、その血筋を繋ぐ力を持った最後の存在である自分ごと、滅ぼすしかなかったのです。(以下続稿)
*1:きよし。旧姓影尾。
*2:開始直前に「実は男だった」説が出た大河ドラマ『女城主直虎』みたいですが。
*3:【2018年6月3日追記】2017年8月23日付(03)に引いた、316頁4コマめの進の台詞にあるように、血縁が全くない訳ではありません。ここは「遠縁の」「遠い親戚の」とするべきでした。