昨日の続き。
・山岸凉子スペシャルセレクションIX『鬼子母神』(13)
3月3日、雛の節句の宴で、ご隠居さまから影尾医師と静音の婚約が発表されたとき、375頁7コマめと8コマめに弥生を見詰める静音の表情が詳細に描写され、特に8コマめ、目に、愁いと云うか悲しみと云うか、救いを求めるようなものが描き込まれています。――ところが弥生はこのとき、静音とシズオが同一人物かどうか、同一人物として男なのか女なのか、いづれにせよ何故女装(もしくは男装)しているのか、と云う浅い疑問に捕らわれていたので、静音の何かを訴え掛けるような目に気付かず、9コマめ、
弥生:(じゃあこの人はやはり女! /するとシズオは?)【375】
と、疑問を別人説の方向に展開させるのが関の山だったのです。
しかし事態は、弥生の気付かないうちに取り返しの付かない段階にまで進んでいました。影尾医師は「静音さま」への「愛」から、この偽装結婚に、むしろ乗り気です。後は弥生を完全に巻き込んでしまうだけなのです。それが弥生にとってどのような事態であるかは9月7日付(10)以来述べて来ました。静音(シズオ)は雛の節句の前夜に、9月8日付(11)に引いたように思い切って弥生に危害を加える*1計画のあることを打ち明けていました。しかし弥生は、前記の浅い疑問に捕らわれていて、じきに自分もただではいられなくなることに、全く気付いていません。そんな弥生を見詰める静音の目は、――あなたはまだ気付いていないの? と訴えているようです。
この弥生の鈍さは結末に至るまで変わりません(まぁ衝撃的な異常事態の連続ですから、隅々まで気付けと云う方が無理ですが)。
すなわち、1ヶ月が経過した4月の始業式の朝、402頁1コマめ、影尾雪が「梨本家の墓前で手首を切って絶命していたのが発見されたそうだ」とおじさまに聞かされて、進たちは「スゴイ 殉死じゃん」「いまどきすごいなあ」と感心するのですけれども、弥生はと云うと、402頁4〜5コマめ、
弥生:(殉死……いいえ/そんなものじゃない/あの人はいったのだわ/静音さまの いえ シズオのあとをおって)/
と、涙に暮れるのですが、弥生、泣いてる場合じゃないわよ!(と、何故かオネエ突っ込みしたくなった。)
――影尾医師は旧弊な考えの老婆に抵抗せずに、梨本家の存続のための犠牲として弥生を拐かしに来た*2んじゃないの。
387頁4コマめに、瀕死の静音が、影尾医師が弥生に静音への輸血(同じAB型)に協力を頼むのを聞いて「ふっ… いろいろ… きみの利用法を考えてあったって…わけ」と言っているように、どこまでも静音及び梨本家大事で、彼は動いているのです*3。まぁ、ここまでの弥生の単純な思考を見ていると、あっさり洗脳(?)されてこの倒錯した状況の維持に、むしろ積極的に努めるようになったかも知れませんが。
その意味で、318頁8コマめ〜320頁、弥生を雛の節句に招待することを告げに来た影尾医師について、弥生といとこの進・京子が話し合う場面、
弥生:「でも私はなんだかあの人……【318】冷たいカンジがして」
京子:「だってあの若さでお医者なんでしょ 医者てのはクールなものよ」/
進:「医者だからクールというより元華族につかえているという高慢さじゃないの」/
京子:「わあ兄さんたら見もしないで*4/それは下々が上流にカンジるひがみというものですよ」/
進:「ひがみ…かもしれないさ だけど…/ああいったところはぼくらとはちがう世界なんだから…/弥生さん覚悟していったほうがいいよ」/
弥生:「いやね進さん おどかさないで」【319】(この時の進さんの言葉を私は実感としてうけとめてはいなかったのです/そうたしかに私はちがう世界へ足を踏み入れようとしていたのですから)【320】
に述べられる、弥生の当初の印象は当っており、そして進の危惧も、杞憂ではなかった訳です。
もちろん、一連の事件を通して弥生が感じた影尾医師の静音に対する愛情は本物であったでしょうけれども、ここまで無理と悪事を重ねてまで、そして自らもそれに加担して存続させようとした梨本家が滅亡してしまった現在、彼には何の生き甲斐もなかったのです。(以下続稿)