瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水島新司『ドカベン』(6)

鈴木則文監督『ドカベン』(5)
 9月1日付(5)の続きで、出演者について。
【16】青地「中田博久高月 忠城 春樹宮地謙吾大蔵 晶川口裕子谷本小代子田辺節子遠藤 薫
 中田博久(1943.3.9生)は「河村」役で撮影開始時に満33歳。
 高月忠(1943.9.22生)は撮影時満33歳。
 城春樹(1946.9.8生)は「沼田」役で撮影時満30歳。
 宮地謙吾は「大崎」役で、昭和48年(1973)から映画・TVドラマに出演しており、映画には昭和55年(1980)まで、TVドラマには昭和59年(1984)まで出演している。
 大蔵晶は柔道部員で練習中に怪我をする「メガネ」役で、映画やTVドラマに昭和51年(1976)から昭和61年(1986)まで出演していた。
 川口裕子(ひろこ)は「好美」役で、明訓高校の女子生徒は大体ソフトボール部の部員と云うことになっているらしいので、その中の1人だったのではないかと思われるのだが、作中、朝日奈麗子と夏子はん以外は特に名前で呼ばれていなかったと思う。映画には本作の他に翌年の『夜が崩れた』に出演している。昭和51年(1976)4月28日から9月22日まで放映の三船敏郎主演の時代劇「人魚亭異聞 無法街の素浪人」の主題歌「真珠貝の唄」(片桐和子作詞・平尾昌晃作曲)を歌って、アイドルとしてデビューしたらしい。この歌はシングル盤ではB面で、A面は阿久悠作詞・平尾昌晃作曲「好きなもの」であった。しかしながらその後、歌手活動は続かなかったようで、TVドラマにはデビュー作の「無法街の素浪人」から昭和57年(1982)まで出演している。
 谷本小代子(1935.5.8生)は岩鬼の母。
 田辺節子(1955.1.19生)は岩鬼の長兄清彦の婚約者で影丸の姉「亜希子」役。昭和48年(1973)に鷹森立一監督『温泉おなさ芸者』にて、高校3年生の芸者役の主演3人の1人としてデビューしたようだ。映画出演は本作が最後で3本、TVドラマには昭和48年(1973)から昭和55年(1980)まで出演している。Wikipediaには9月6日に削除されるまで、生没年が(1936年〜2014年)と表示されていた*1が、それでは37歳くらいのときに高校3年生の役を演じたことになってしまい、30代の高校生がゴロゴロ出演する本作でもそれは男子限定で、流石に女子でそんな高校生は、……あ、いや、私は、2012年11月14日付に触れたが、25年くらい前に森光子のセーラー服姿を見たことがあるのだった。
 遠藤薫は女子生徒・ソフトボール部の部員の「道江」役で、昭和45年(1970)から昭和57年(1982)まで、子役として活躍している。――生徒役には当時の子供向けTVドラマ等に出演していた俳優・子役が多数出演している模様で、シャオティエンのブログ「重箱の隅大作戦」に、2014年06月26日「最近鑑賞した中から」として『ドカベン』出演者数名に言及されている。遠藤薫マッハ文朱については2016年02月02日「「華麗なる追跡」を追跡 その3」にも取り上げられている。この他の記事も同ブログの「女優索引「男優索引」を手懸かりに見ていけば発見があるであろうが、如何せんTVドラマをCSや衛星放送・DVD-BOXなどでまとめて鑑賞する余裕がなく(子供だった当時はあまりTVドラマを見なかった)残念ながら知識が追い付かない。(以下続稿)
【17】赤地 両手を拡げて組もうとする山田(以下続稿)

*1:【2019年7月1日追記】2018年4月16日 (月) 05:50時点における、Deat24が「(当時の紹介記事より加筆。)」した版により生年月日が判明したので補った。撮影時に満22歳。その他の本文はそのままにして置く。