・小林の無失点記録
昨日の続きで、東郷学園と鷹丘中の対戦の続きを見て置こう*1。
――なんとか1回表を4点で凌いで、いよいよ1回裏、鷹丘中の攻撃で、小林投手が登板する。
スタンドでは、小林の父の、恰幅の良い社長が、左に社員、右に娘の稔子を従えて座っている。文庫版⑤313頁2〜3コマ、
社員:「あんなチームじゃなにも…おぼっちゃまが投げることもありませんね」
社長:「いや あいつには目標がある 無失点記録をのばす目標がな」/
社員:「なるほど 確か去年からここまで連続99回無失点のタイですね」
社長:「そうだ/そして一回裏を無得点におさえればそれまでの保持者不知火くんを抜いて新記録となるんじゃ」/
小林が目を負傷したのは山田が鷹丘中に転校して来るより前だから、小林は山田が鷹丘中柔道部員として大会に出ていた頃に開催されていた中2の夏の大会には登板出来なかったはずである。そうすると中2の春以前、殆ど中1のときに「連続99回無失点のタイ」記録を達成したことになる。しかしそれでは「去年からここまで」と矛盾する。
転校して行方をくらませていた(らしい)山田の居所を突き止めて、目の手術の前に一目会いに来た小林が、野球を辞めてしまった山田に憤る場面、2mくらい近付かないと山田が柔道着を着ていることも見えないくらい視力が落ちているのである(文庫版④315頁)。こんな状態でとてもじゃないが「去年」も投球し続けて、しかもそんな記録を継続させていたとは思われないのである。
それから自分の怪我について山田は悪くないと云うことを確認するために当日の状況を説明するのであるが、文庫版④318〜320頁、
小林:「その日好調のおれはきみだけにめった打ちをくらっていた 二打席目にホームラン 三打席目にセンター前/そして1対1でむかえた延長十回の裏ツーアウトからまたもきみに火の出るような一撃を右中間に三塁打された/このツーアウト三塁の型は おれのもっとも嫌いな型なのだ……………内野のエラーでも一点入る/それ以上に気になったのはおれの暴投でも一点入るということだった【318】‥‥
と言っていて、以下は割愛するが、自分の不安の通り暴投してしまい、本塁に突入して来た山田のスライディングが小林の両眼をかすめたのである。――すなわち負傷した試合で、小林は山田にホームランを打たれている。そして山田のスライディングによって落球しているから、10回裏にサヨナラ負けして敗戦投手になっているはずである。だから「連続99回無失点」は視力回復後のことになるはずなのだが、4月に視力が回復して夏の地区大会まで、99回もの公式戦登板があったとは、ちょっと思われないのである。「去年からここまで」普通に投げられておれば99回にはなるだろうが、長らくそんなコンディションではなかったはずなのである。
それでは、何故、ここで唐突に「連続無失点」の「新記録」が持ち出されるのであろうか。
話を試合に戻そう。――小林はまづ、1番大河内、2番殿馬を連続三振に打ち取るが、3番長島、4番岩鬼を連続四球で歩かせる。この記録については観客も分かっていて、1回裏が始まる前に、徳川監督(このときは正体不明の酔っ払い)と不知火が、文庫版⑤323頁1〜2コマめ、
徳川:「不知火 いよいよきたな おまえの記録が破られる時が」
不知火:「ええ 小林の新記録更新は間違いないでしょう」
徳川:「しかしランナーをふたり出せば山田と顔があう……そうすればわからんぞ」
不知火:「それはまずありえないんです」
と話しており、東郷学園の応援団も「小林 100イニングス無失点の新記録はこの回で達成だぜ」と叫んでいる(文庫版⑤324頁1コマめ)。
ちなみに岩鬼は悪球打ちをせずに素直に歩かされている。文庫版⑤326頁4コマめ、
徳川:「あいつめ わざとふたり歩かせたな」
不知火:「ザコで新記録はつくりたくねえということか………………生意気なやろうだぜ」
そして小林本人も、打席に入った山田を睨んで(山田 おまえをえじきに新記録だ)と意気込むのである(文庫版⑤327頁5コマめ)。そういう心意気だから敢えてあっさり達成出来たはずの新記録を先延ばしにするのである。
そんな展開にするために、小林が「去年からからここまで連続99回無失点のタイ」記録を保持しており、山田を打ち取って「100イニングス」達成と云う挑戦に、どう山田が応えるのかと云う風に盛り上げるべく、急に思い付いて従来の設定を(悪く云えば)ないがしろにしたとしか思われない。いや、そんなに考えてしたことではなく、単に忘れていただけなのかも知れないが。
さて、この試合は何故かラジオ放送されているのだが、その実況も文庫版⑥3頁1〜4コマめ、
実況:「さあ 連続無失点記録に挑む東郷学園の小林くん/この初回をゼロに抑えれば関東のオオカミと言われた不知火くんを破り新記録となるのです/しかしツーアウトから三番長島くん/四番岩鬼くんを歩かせて新記録に赤信号/五番山田くんのバットにその記録がかかってきました」【3】
と言っている。――こうなって来ると段々、小林は負傷後も、中2の夏の大会や秋の大会に登板していたのか、と云う気分にさせられる。それとも、目の手術を受けて復帰後の(早稲田実業のK野手の本塁打記録のように)練習試合も含めた戦果なのであろうか。しかしそれでは、皆が挙って言うほどの価値はなさそうに思うし、やはり「去年からここまで」と矛盾する。
どうも、水島氏は、長島の故障やそれなりの位置にあった朝日奈アッコの忘却など、細かいところはかなり思い付きで話を変えて展開させているようである。――せわしない週刊誌連載で勢いで押されると(そしてアシスタントや編集者に特に気にする人もいなければ)その場はこれで通ってしまい、その後、読者からも特に指摘されないままになったらしい。尤も、指摘があったとして描き直したかどうか、……私も仕方がないと思うのだけれども。(以下続稿)
*1:【11月15日追記】以下全て「鷹岡」となっていたのを「鷹丘」に訂正した。