瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(27)

・豊田善敬・戸田学 編『桂米朝座談』(2)
 正岡容については、『1』47〜113頁「二 わが師を語る」の前半(49〜90頁)「鼎談 正岡容を語る」は、2015年6月29日付(05)に紹介した『正岡 容集覧』の「解説鼎談」の再録である。
 そして『2』には巻頭、1〜39頁「一 対談 桂米朝、その仕事」が大西信行との対談で、編者「まえがき」v頁12〜14行め、

 巻頭には劇作家・演出家の大西信行氏との対談「桂米朝、その仕事」を収めた。本シリーズのま/とめとして新収録したものである。大西氏は。正岡容門下で米朝師の弟弟子にあたり、青年時代か/らの交友が現在まで続いている米朝師のよき理解者である。

と解説されている。
 この対談には随所に正岡容が登場し、2月17日付(24)に触れた「艷色落語 紀州飛脚」の単行本『風流艷色寄席』収録に際しての加筆に見えた、正岡氏が「宝塚での上方落語若手研究会」に来たときのことも回想されている。
 30頁17行め、

米朝 正岡さんがね、戦後いっぺんだけ、大阪今里の師匠(米団治)の家へ来たことがあった。/‥‥


 しかし発言の続き、30頁18行めから31頁5行めまでは、大トラになった正岡氏を大阪駅で見送ったときの回想で、四代目桂米團治(1896.9.3〜1951.10.23)との交流について述べたものではない。
 そして、31頁8〜12行め、

米朝 もういっぺん「宝塚若手落語会」へも来たことがあったな。この時はね、「宝塚へ行きたい」/ と言ってね。昔、思い出があったりするのやな。遊園地なんかを懐かしがってね。で、その時は/ まだ明るかったから酒も飲まずに宿へ引きあげましたよ。それから先はどうなったか忘れたけれ/ ども……。落語会でも、客席やなしに舞台袖で見ていて、「いい会だ」とかなんとか言う。「客も/ よく入っているじゃないか」「ダタなんです」と言うたら、「あッ、タダなんか……」(笑)。

とあり、「艷色落語 紀州飛脚」の記述によりこれが昭和30年(1955)春のことと判明する。(以下続稿)

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 宝塚と云えば、録画して見ているテレビ朝日の帯ドラマ「越路吹雪物語」が今日、昭和26年(1951)7月31日の宝塚歌劇団退団の場面だった。
 前作「トットちゃん!」は後半失速した。脚本家がピアニストとの恋について聞き出したことが目玉のようになってしまったが、正直なくても良かった。前半をもっと丁寧にやった方が良かった。

トットちゃん!  DVD-BOX

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 越路吹雪(1924.2.18〜1980.11.7)については『桂米朝集成』第三巻199〜224頁「七 音楽と舞、そしてレビュー」に、214〜218頁、昭和52年(1977)7月の「リサイタルと独演会――越路吹雪さんのこと」(214〜215頁7行め)と同年9月の「越路吹雪ロングリサイタルに寄せて」(215頁8行め〜218頁4行め)が、ともに公演プログラムから再録されている。
 越路吹雪は両親が好きで、レコードを繰り返し聴いていて、私も覚えてしまった。歌詞と旋律がすぐに口を衝いて出る。しかし私が実家を出る前にレコードプレイヤーが壊れて、久しくLP盤を聴けなくなっている。今度父の傘寿の祝いに、安物のレコードプレイヤーを贈って一緒に越路吹雪を聴こうと思うのである。