瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(29)

・豊田善敬・戸田学 編『桂米朝座談』(4)
 2月20日付(27)に引いた桂米朝の、昭和30年(1955)春、宝塚若手落語会を見に来た正岡氏についての回想の最後、東京出身の正岡氏が「あッ、タダなんか……」と言ったことになっているが、これについては2月18日付(25)に引いた、『桂米朝集成』第四巻に「参考」として収録されている「艷色落語 紀州飛脚」の「四」節の冒頭、82頁6行めの米朝の台詞の続き、7〜9行めに、

 私「何でや」
 江戸っ子のくせに、先代円馬(三代目三遊亭円馬)の倅分として、青春の幾とせかを阪地(大阪)に過した/私は、いまでも上方から懇篤な人が来ると、つい半チクな大阪弁が出てしまうのだった。

とあって、どうやら「タダなんか」もこれと同類の「半チクな大阪弁」であるらしい*1
 この大阪との繋がりは『艷色落語講談鑑賞*2』の「上方落語/島 め ぐ り」にも記述がある。(以下続稿)

*1:追記】私は数年だけれども関西に住んだことがあるから違和感なく「あッ、タダなのか……(絶句)」と云う文脈で読めたので、何故正岡氏の口から大阪弁が出て来るのか、と云う興味しかなかったのだが、ここは或いは「あッ、タダなんか(飛んでもねぇ)」と云う文脈で読めてしまう人もいるかも知れない。今は関西弁も一般的になってそんな風に取る人はいないかも知れないが、ふと思い付いたので念のため書き添えて置く。――と書いてしまってから、やはり文脈からして、この解釈は東京人でもしそうにないと思ったのだけれども。

*2:【2019年4月13日追記】署名が誤っていたのを訂正した。