・豊田善敬・戸田学 編『桂米朝座談』(4)
2月20日付(27)に引いた桂米朝の、昭和30年(1955)春、宝塚若手落語会を見に来た正岡氏についての回想の最後、東京出身の正岡氏が「あッ、タダなんか……」と言ったことになっているが、これについては2月18日付(25)に引いた、『桂米朝集成』第四巻に「参考」として収録されている「艷色落語 紀州飛脚」の「四」節の冒頭、82頁6行めの米朝の台詞の続き、7〜9行めに、
私「何でや」
江戸っ子のくせに、先代円馬(三代目三遊亭円馬)の倅分として、青春の幾とせかを阪地(大阪)に過した/私は、いまでも上方から懇篤な人が来ると、つい半チクな大阪弁が出てしまうのだった。
とあって、どうやら「タダなんか」もこれと同類の「半チクな大阪弁」であるらしい*1。
この大阪との繋がりは『艷色落語講談鑑賞*2』の「上方落語/島 め ぐ り」にも記述がある。(以下続稿)