瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Prosper Mérimée “La Vénus d’Ille”(18)

・I giochi del diavolo “la Venere d'Ille”(8)
 広間から出るとアルフォンス君は主人公に女神像の指から例の指輪が抜けないことを訴え、見に行くよう頼む。後ろを出来上がった料理をお盆に載せたマリアが通り、外では雷鳴が轟く。
 原作では、アルフォンス君が主人公に話があると言ったのは宴会の始まる前で、そして宴果てて後、2人で話すことになるのだが、宴会の間中、酒を呷り続けていたアルフォンス君を、主人公は酔っ払い(酩酊者)として接しており、まともでない人に接するとき一般の一歩引いた対応をしているので、アルフォンス君の酩酊と相俟ってなかなか要件に到らないのだが、TVドラマでは、まづ右手の薬指に触り、それから手を握る動作を3回ほど繰り返しており、どうやら要件のみを話しているらしい。アルフォンス君は Puygarrig でこそワインを喇叭飲みしていたが、Ille に戻ってからは宴席にも出ずに、女神像から指輪を外そうと奮闘していたらしい。だから酔いは残っているだろうが正気に近いと云えよう。
 原作では女神像の指が曲がって指輪が抜けない、と訴えるアルフォンス君の真剣さに主人公も流石にぞっとするのだが、そこでアルフォンス君がついた溜息の酒臭さに、杉氏(岩波文庫)160頁8行め「 この先生、すっかり酔っぱらっているなと私は思った。」西本氏(未來者)122頁1行め「「情けない奴だ」と、私は思った。「すっかり酔っ払っているだけじゃないか。」」平岡氏(岩波少年文庫)235頁12行め「 哀れなやつだ、すっかり酔ってるな。*1」と、現実的な思考に引き戻されてしまう。それでも女神像を見に行くことを約束して表に出ようとするのだが、滝のような雨が降っているのを見て、大方ずぶ濡れになった自分を笑い者にしようとして仕掛けたタチの悪い悪戯だろうと思い直し、広間には戻らずに寝室に行ってベッドに潜り込む。なかなか寝付かれない中で、主人公は《音》を聞くのである。
 TVドラマでは主人公は外に出る。雷鳴は聞こえるが雨は降っていない。アルフォンス君との会話の終わり頃から、例の不穏なBGMにさらに音を被せたヴァージョンが流れている。階段を下り、茂みの中を歩いて行くと、何故か近くにクララが1人佇んでいる。クララの眼の辺りがアップになったところでBGMは主題曲に切り替わる。そして女神像に向かって歩いていた主人公に「マテュー」と声を掛けて呼び止める。そしてクララ主導の会話があってクララ主導で主人公と接吻する。このクララは声が低くてちょっと怖い。それから、主人公主導でより熱く接吻するが、そこに招待客の見送りに出て来た Peyrehorade 氏の声が響いて中断。
 身を隠して眼を離した隙にクララはいなくなっている。館に駆け戻る主人公。
 広間を見るとクララは席にいて、自分を見る主人公と目が合うと声を立てて愉快そうに笑う。
 寝室に戻って頬杖をつき、最前のクララの台詞を反芻する主人公。主題曲が流れ始める。窓から女神像の方を見る(暗くて、粗い画像では見えているのか全く見えないのか判然としない)。そのとき、背後の机の上のスケッチブックに挟んだ女神像の顔のスケッチ、と云うか、クララの素描が床に落ちる。振り向いてスケッチを拾い上げた主人公は、接吻のときに見たクララの印象から、眼の回りに加筆するのだった。
 ――さて、女神像を見に行こうとして、見ないままにしまった理由として設定されている、一連のクララとのやり取りだが、原作にはない全くのオリジナルである。そして、外にいたクララは本人ではなく、女神像がクララの姿を借りて現れたもののような、そんな暗示をしている。う〜ん、それなら、アルフォンス君にもクララの姿で情を交わせば良かったんじゃないか、と思ってしまいますな。台詞(イタリア語)が分かればもう少し納得出来るような按配になっているかも知れないのだけれども。
 マリアたち下女3人に傅かれ、新婚初夜の身仕舞いをするクララ。幸せそうに笑み、やはり最前主人公と茂みの中でキスしたのと同一人物とは思えない。一方主人公は、窓から差す光を頼りに女神像のスケッチを完成させるが、全くクララの顔になっている。
 原作では、以後、朝までの展開は、まづ主人公がベッドで寝付かれないまま聞いた《音》とともに説明され、翌日になって新婦の語った晩に起こった出来事が説明されるのだが、TVドラマでは回想ではなしに主として新婦の視点から、クライマックスが描写されている。(以下続稿)

*1:ルビ「あわ・よ」。