瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

ビートたけし『たけしくん、ハイ!』(2)

・『シナリオ・たけしくん、ハイ 』(2)
 昨日の続き。
 このドラマの思い出と云うと「続」で転校生の美少女を演じた後藤久美子(1974.3.26生)を挙げる人も少なくないようだ。確かに、誰か大事な人を失ってある強い感情を覚える、と云う体験への憧れみたいなものがあって、――しかし私の周囲には病気や事故で死んだ級友とてなく、不幸にして、と云うかやはり幸いにしてと云うべきか、せいぜい級友の母親の葬儀に担任に引率されて参列したことが小学生(中学年)のときに1度あったきりであった。低学年のときに、近所の私と同学年の女子の母親で、私の母と少し親しくしていた人が病死して、その後、うちが転居するまで(半年程であったろうか)、放課後に確か年子の姉妹を家で遊ばせていたことがあったのだが、私は一緒に遊ばなかったので名前も覚えていないし*1、その母親のことも、低学年だったこともあってやはり殆ど印象に残っていない。突然いなくなった級友と云えば中学のときに1人だけ、秋だったか年度・学期の半ばに急にいなくなった女子がいて、担任も全く事情を説明しなかったが夜逃げをしたのだと云う話が、級友たちの間には少し広まった。しかし、綺麗な子だったと思うけれども、大人しくて全く目立つ風でなく、クラスに特に親しい子もいなかったらしいこともあってか(それならその友人を誰かが質問責めにしただろうけれどもそういう記憶もない)、初めから大して話題にもならず、僅かの間に全く意識にも上らなくなってしまった。しかしながら、親の都合でほぼ3年おきに転居を繰り返していた私にとって、この「いなくなったら忘れられる」と云うのが、今は当然そうなるべきだと思うが、当時はちょっとした恐怖であった。だからこのAさんのことも、多分話したこともないのに妙に覚えているのである。――もちろん、私が同じ場所で継続して暮らしていないから、その後死んだ級友がいたとしてもその報せに接することがなかっただけなのだろうけれども。
 それはともかく、このドラマの出演者と云えば私はやはり、父親役の林隆三(1943.9.29〜2014.6.4)を思い出す。それは放映の少し前に(前後についての記憶が混乱しているが)2015年11月13日付「筒井康隆『時をかける少女』(2)」等に述べたように、放映の少し後に公開された映画『早春物語』の来迎寺の桜のシーンのロケ現場に行き合わせて、監督が原田知世(1967.11.28生)に同じ演技を10回以上やり直させ、それに合わせて同じ台詞を10回以上言わされていた林氏を見ていたから、自然と林氏に目が行くようになり、対照的なこのドラマの駄目親父ぶりが、より強く印象付けられたのだと思う。
 さて、シナリオの正続2冊は、奥付の印刷日が同じで発行日が1日違いであることから察せられるように、「続」の放映に合わせて刊行されたものである。詳しくは後述するが装幀も共通しており、何より扉の次にアート紙の口絵がそれぞれ8頁(頁付なし)あって、白黒写真の数々が、少しずつだが私のこのドラマの記憶を呼び覚ましてくれるのであった。(以下続稿)

*1:集団登校だったから毎日一緒に登校したはずで(但し1列になってお喋りもせずに黙々と歩かされていたのだけれども)、しかもどちらかが私と同学年だったのに名前も顔も思い出せないのである。――北海道の木古内から手伝いに来ていたお婆さんのことは(その後盆暮れに北海道の産物を送ってもらったこともあって)うっすらと覚えている。