瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森類『鴎外の子供たち』(2)

 6年前にメモを取っていたが、当ブログのメモ記事は読んだ上で突っ込むものと、読む前に諸本を比較してどれを読めば良いか吟味するもの(そして結局読まない)と、圧倒的に後者の方が多いのだけれども、『鴎外の子供たち』もやはり読んでいなくて、今回初めて読んで、かなり驚かされた。特に姉の杏奴との関係である。小堀杏奴『晩年の父』以降の展開が、何とも凄まじい。
 ところで、先日放映されていたNHKの金曜「ドラマ10」の「トクサツガガガ」の録画を見ていて、――初め、別に見る気もなく、録画もしていなかった。同じ枠で昨年放映されていた「透明なゆりかご」と「昭和元禄落語心中」は録画して見たのだが、と云うのは家人は風呂に入って私も何やかやと雑事にかまけている時間なので、録画しないことには話が分かるほどは見られない。ところが、雑事の合間にニュース番組に変えずに付けっぱなしにしていたら、惹き込まれてしまったのである。それで2月3日に1~3話一挙再放送と云うのを録画して、ついに今日の最終回まで見てしまった。
 私の子供の頃には「オタ」などと云う言葉はなかったから、そんな意識もせず、私は小学校の低学年の頃は仏像、中学年の頃は火山、高学年では昔話に凝って「オタ」のような按配ではなく実に堂々と偉そうにしていた*1。戦隊モノは見なかった訳ではないが、喧嘩は好きではなかったので、子供らしい嗜好と云えば『ドラえもん』を買っていたくらいであった。その『ドラえもん』も、中学に上がる頃に幼稚に思えて「卒業」と称して捨ててしまったのである。その後、高校受験の頃に講談社文庫『古典落語』を読んで、『ドラえもん』がその題材の少なからぬ部分を落語に仰いでいることを知って、単行本が手許にあれば検証出来たのに、と残念に思ったものである。今や『ドラえもん』と落語の関係など常識で、当時だって気付いている人が幾らもいたろうと思うけれども。
 私の仏像や火山や昔話の趣味は、一般の小学生の発想とレベルとを超越していたので「いつまでもそんなものを、恥ずかしいからやめなさい」等と言われる心配も全くなく、むしろ褒められて好い気になったものだったけれども、しかしそういった趣味が結局なんともならなかった今になって見ると「トクサツガガガ」の主人公の心情が解るような、自ら「オタ」風情と区別して偉そうにしていたことも結局これと同じだったのではないか、と思えるのである。そして、自己の思い入れと規範意識を押し付けてくる母親と主人公との対決*2には、泣けてしまった。
 私の大学院時代と重なったからである。
 院の先輩に、目を掛けてくれる人がいて、その人はこれからは博士号が必要になるが、指導教授が多忙で、他の教員にもOBにも博士号を取った人が殆どいないような大学院だったので(そもそも昭和末年頃までは文系の研究者になるのに博士号は必要なく「博士課程単位取得退学」と云う経歴が――授業には殆ど出ずに、1つだけ履修して単位を取得したと云ったことが経歴として認められる、そんな時代だったのだけれども)、以前から私の研究に注目していた別の大学院の教授に話を付けて、博士論文を書かせる方針のその大学院に私を移籍させたのである。もちろん試験は受けたけれども、公正な試験であったかどうかは疑わしい()。そしてそこがその先輩の就職先でもあって、ただの先輩から今度は副指導教員と云うことになったのである。
 しかし、――細かいことはまだ書く時期ではないと思うのだけれども、そこからしてまづ食い違っていたのである。私は修士課程に入ったときに「文系基礎学の危機」とか云う、効果があるとは思えないアピールを聞かされて、その時点でもう国文学界には将来はないと思ったのである。夏に大学院の合宿に行ってその晩に、別の先輩から就職出来るなんて思わない方が良いとて色々聞かされて、全くその通りだと思った。それでも出来るところまでは続けようと思って博士課程に進んだ。そのうちに高校非常勤講師を始めて、いよいよ駄目だと思った。私の大学入試の頃には、文系学部に入るためには古典もやらないといけなかった。附属高校でもなければ推薦入試など殆どなかったから、大学に入るにはどうしても受験勉強する必要があって、そしてまともな大学に入るには古典が必須だったのである。しかし、推薦入試では古典をやらなくてよくなる。古典の授業はあるけれども授業の評定など、あんなもんきちんと学んだことの保証には全くならない。18歳が受験のせいでみんな古典をそれなりに勉強した、勉強せざるを得なかったからこそ、古典の需要があったのである。それだのに、大学入試から古典を外したらもうお終いである。推薦入試は大学の生き残り――学生確保のため、と云う理由だったとか聞いたが、本当に何と愚かなことをしたのだと思う。一時、息を継ぐ間は得られただろうけれども(それすら怪しい気がするのだけれども)。やらざるを得なかった私らの頃でさえ、英語は将来使えるのに古典は将来使わない、みたいなことを言う連中がいて、まぁ私もそれはそうだと思ったのだが、しかし私は同じ理屈を、日本にいて英語なんか使わない、と応用して英語をサボる口実にしていたのだからやはり変な奴であった。
 だから高校講師を始めていよいよ研究職から心は離れていた。しかし好きなことは好きだから、研究職に就かずに可能な範囲で、細々とであっても研究を続けよう。その際、資料の閲覧等で所属が研究機関であることを要求されることが多いが、そこには入るつもりがない訳なので、その代りの身許の証明として、博士号を取って置こうと思ったのである。(以下続稿)

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 小堀杏奴森類の話に戻るどころか、「トクサツガガガ」と私の大学院時代とがどう重なるのかの話も(まぁ既に予測出来るとは思いますが)なかなか書き終えられなくなってしまったので、一旦話を戻して、参考資料として借りて来た森類の評伝を挙げて置く。
・山﨑國紀『鴎外の三男坊 森 類の生涯 三一書房・313頁・四六判上製本

鴎外の三男坊―森類の生涯

鴎外の三男坊―森類の生涯

・1997年1月15日 第1版第1刷発行 定価3,200円
・1997年3月20日 第1版第2刷発行 定価3,200円
・1997年4月30日 第1版第4刷発行 定価3,200円
 全部で20章、第十章で『鴎外の子供たち』刊行までの半生、残り10章がそれ以降を扱っていることになる。(以下続稿)

*1:この辺りのことは2018年3月28日付「回想の目録(1)」に挙げたようにしばしば回想している。

*2:2月22日放送「#6 ハハノキモチ」。