瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(60)

岡本綺堂「影」(4)
 昨日の続き。
 幽Classics『飛驒の怪談』の「編者解説」から、戯曲「影」について述べた箇所を抜いて置きましょう。学研M文庫 伝奇ノ匣2『岡本綺堂 妖術伝奇集』には触れるところがありません。
 表題作に据えた「飛驒の怪談」の解説に続いて313頁16行めから。今回は前半、314頁10行めまでを見て置きます。

 次に併録作品について記す。【313】
 戯曲「影」は、雑誌『舞台』の昭和十一年(一九三六)七月号に掲載された、綺堂最晩年の作品である。/『舞台』は、綺堂の高弟・額田六福が編集兼発行人を務める演劇雑誌で、表紙には大きく「岡本綺堂/監修」の文字が掲げられ、門人たちによる新作戯曲が毎号掲載された。同号の編集後記には「本欄巻/頭には、綺堂先生の『影』、先生独特の怪奇劇として好個の一幕物である。四月号の『長崎奉行の死』/に比して又別の趣きがある」と記されている。
 小説「木曾の旅人」を戯曲化したものだが、舞台が木曾の山奥から、里に程近い小田原の山中に移/され、小屋を訪ねてくる猟師仲間の男の役どころを、婀娜*1な女性キャラクターに差し替えるなど、実/際に上演されることを想定した改変が加えられている。昭和二十二年(一九四七)十月、東京・有楽/座で、尾上菊五郎(六代目)の重兵衛に市川男女蔵(三代目、後の左団次)の旅人という顔合わせで/初演された。


 戯曲「影」は幽Classics『飛驒の怪談』に、227頁(頁付なし)扉「影(一幕)」、229〜271頁に本文が収録されています。
 舞台は冒頭、設定を説明した箇所に、229頁3行め「相模国、石橋山の古戦場に近き杉山の一部」にある、4行め「藁葺きの炭焼小屋」とあります。石橋山の古戦場と云うと当時の神奈川縣足柄下郡片浦村石橋、現在の小田原市石橋、JR東海道本線早川駅根府川駅の中間辺りですが、本文中(236頁3〜6行め)に、

重兵衛 あなたは湯河原*2の温泉を御存じでしょう。
旅 人 湯河原……。知っています。
重兵衛 その温泉場から遠くない、土肥の杉山という所です。頼朝が隠れたという大杉が*3/先頃まで残っていましたが、今はもう枯れてしまいました。*4

とあるので、石橋山から敗走した頼朝が隠れた足柄下郡湯河原町及び隣接する吉濱村(現・湯河原町)辺りの山中で、「小田原の山中」と云うより「湯河原の山中」で良いでしょう。235頁15行め「熱海から山道伝いにここまで来た」と言う旅人が、233頁9行め「箱根を越して甲州へ出る積りです*5」と云う、熱海と箱根の中間に当たります。
 さて、初出誌で読んだときに私も、この舞台設定は新歌舞伎らしく女形を――東氏の云う「婀娜な女性キャラクター」である、炭焼重兵衛の遠縁に当たる熱海の芸妓おつやを、登場させるための改変だろうと思いました。しかしながら、2013年6月29日付(18)に引いた、中公文庫『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』の千葉俊二「解題」により「五人の話/炭焼の話」を知って、もちろん花街の近くにして女形を登場させやすくした、と云う側面もありましょうが、どうも、元来が伊豆・箱根辺りの設定だったらしいことが分かったのです。
 ところで、旅人を演じた市川男女蔵は、2011年1月16日付(06)に述べたように四代目で、後の三代目市川左団次です。(以下続稿)

*1:ルビ「あだ」。

*2:ルビ「ゆ が わら」。

*3:ルビ「と い ・よりとも」。

*4:台詞の2行め以下は4字下げ。

*5:ルビ「つも」。