昨日は佐藤氏が敢えて「第四章」を立てたことに対する共鳴から与太話になってしまったが、今日はその第四章の内容をもう少し見て置きたい。
265頁(頁付なし)が章の扉で裏は白紙、267頁から2段組の本文で第三章までは設けられていた脚註欄はない。編年体でゴシック体で2行取りの囲みで年を示す。
・267頁上段1行め[一八九〇(明治二三)年]
2行め「一月」字下げなし、3行めの頭には「▼」があって細いゴシック体で概説と資料の解説、268頁上段4行めまで。1行分空白があって記事の引用が2つ、記事ごとに頭に灰色の●を打ち、末尾に[郵便報知新聞、一月一〇日]の如く典拠を示している。
1行分空けて下段17行め「四月」ここにもやはり「▼」の概説・解説が18行め~269頁下段1行め、以下記事を3つ挙げる。
270頁上段10行め「六月」、下段まで「▼」で271~273頁下段2行め、設立届。
273頁下段3行め「七月」、274頁下段7行めまで「▼」で278頁下段3行めまで新聞記事4つ。
278頁下段4行め「八月」、17行めまで「▼」で279頁上段17行めまで記事3つ。
279頁上段18行め「九月」、下段5行めまで「▼」で11行めまで記事1つ。
279頁下段12行め「一〇月」、282頁上段1行めまで「▼」但し280~281頁の上段は図版(図4-1~4-4)、記事は288頁下段6行めまでで284頁は全頁が図4-5、283頁下段にも6行分取って図4-6。
288頁下段7行め「一一月」、289頁下段9行めまで「▼」で記事は295頁まで。
296頁上段1行め「一二月」、下段8行めまで「▼」で記事は299頁上段1行めまでで図版は296頁下段左5行分に図4-7、297頁上段右寄り7行分に図4-8。
・299頁上段2行め[一八九一(明治二四)年]
299頁下段3行め「一月」、下段8行めまで「▼」、記事は11本。
301頁下段5行め「二月」、14行めまで「▼」、記事は1つ。
302頁下段17行め「三月」、303頁上段1行めまで「▼」、記事は1つ(10行分図4-9)。
303頁上段7行め「四月」、下段11行めまで「▼」、記事は1つ。
303頁下段16行め「五月」、下段末18行めまで「▼」、記事は1つ。
304頁上段6行め「六月」、14行めまで「▼」で記事は1つ。
304頁下段4行め「七月」、305頁上段まで「▼」で記事は16本。
309頁上段4行め「八月」、下段12行めが「▼」で記事は17本。
313頁下段1行め「九月」、下段末まで「▼」、記事は9つ。
316頁上段10行め「一〇月」、316頁下段3行めまで「▼」で記事は5つ。
317頁下段18行め「一一月」、318頁上段まで「▼」で図4-10挿入、記事は5つで図4-11挿入。
319頁下段14行め「一二月」、320頁上段1~4行めが「▼」で記事は1つ。
320頁上段18行め「小学生たちの作文」囲みなし、320頁下段「▼」概説・改題、321~322頁上段13行めに作文・漢詩。
・322頁上段13行め[一八九二(明治二五)年]322頁下段まで「▼」
・328頁上段8行め[一八九三(明治二六)年]328頁下段7行めまで「▼」
・334頁上段1行め[一八九四(明治二七)年]334頁下段2行めまで「▼」
・339頁下段7行め「明治三〇年代の凌雲閣」囲みなし
ここは「▼」概説のみ、以下の各年は概説・解説なしで記事のみ。
・340頁下段2行め[一八九五(明治二八)年]
・341頁上段6行め[一八九六(明治二九)年]
・341頁上段14行め[一八九七(明治三〇)年]
・342頁下段19行め[一八九八(明治三一)年]
・344頁下段9行め[一八九九(明治三二)年]
・344頁下段13行め[一九〇〇(明治三三)年]
・345頁下段7行め[一九〇一(明治三四)年]
・346頁上段5行め[一九〇二(明治三五)年]
・347頁上段16行め[一九〇三(明治三六)年]
・349頁下段1行め[一九〇四(明治三七)年]
・349頁下段13行め[一九〇五(明治三八)年]
・350頁上段8行め[一九〇六(明治三九)年]
・351頁下段1行め「明治四〇年代の凌雲閣」囲みなし
ここは「▼」概説のみ、以下の各年は概説・解説なしで記事のみ。
・352頁上段14行め[一九〇八(明治四一)年]
・352頁下段10行め[一九〇九(明治四二)年]
・359頁下段1行め[一九一〇(明治四三)年]
・361頁上段19行め[一九一一(明治四四)年]
・363頁上段3行め[一九一二(明治四五)年]
・364頁下段16行め「震災倒壊までの大正年間の凌雲閣」囲みなし
ここは「▼」概説のみ、以下の各年は概説・解説なしで記事のみ。
・365頁下段16行め[一九一二(大正一)年]
・366頁上段3行め[一九一三(大正二)年]
・366頁上段13行め[一九一四(大正三)年]
・367頁上段14行め[一九一六(大正五)年]
・368頁下段13行め[一九一八(大正七)年]
この年は全て田山花袋『一日の行楽』の「十二階の眺望」の引用。これが恐らく9月30日付「石角春之助 編輯「江戸と東京」(12)」に引いた、濱本浩「塔の眺め」に言及されている田山花袋翁の「十二階の眺め」で、濱本氏は「いま坐右にその書物がないので、こまかく引章することができぬのは残念である」と述べているが、かなり長く細かいので記憶に頼っての記述で丁度良かっただろう。かつ、これを読めば添田知道「十二階の記憶」での田山花袋への疑義提示がやや乱暴であることが理解される。田山花袋は2年後の『東京の近郊』でも同様の十二階からの眺望に紙幅を割いているが、こちらには特に題がないので濱本氏が見たのはやはり『一日の行樂』の方であろう。機会があれば細かく比較して見たい*1。
・370頁下段13行め[一九一九(大正八)年]
・371頁上段2行め[一九二〇(大正九)年]
・377頁上段9行め[一九二一(大正一〇)年]
・379頁下段10行め[一九二二(大正一一)年]
・381頁上段8行め[一九二三(大正一二)年]
震災以前の記事はなし。
・383頁下段11行め「十二階消滅以降の十二階」概説なし
394頁10行めまで。
佐藤氏が「▼」に纏めている概説・解題を辿ることで凌雲閣を巡る年代順の流れは大体把握出来る。そこら辺りを本当はもっと細かく見て置きたいところだったのだが今は田山花袋の「十二階の眺め」ならぬ「十二階の眺望」が掲載されていることを指摘するに止める。尤も、この資料集成とても国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索で、大幅な増訂が可能になってしまった。どうするのか(しないのか)佐藤氏の続稿を期待することとしよう。(以下続稿)