瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(289)

北杜夫の赤マント(4)
 昨日の続き。
 『南太平洋ひるね旅』の刊本や成立の事情については、文庫版の「後記」に簡単な記述があります。227頁2~6行め、

 この本は、一九六二年四月に、一度新潮社から刊行され、その後一九六七年に新装版として復/刊したものを、このたび新潮文庫の一冊として刊行することになったものである。
 一九六一年十二月から翌年二月にかけての旅行記であるが、当時、もちろんハワイは除いて、/南太平洋の島々を旅した日本人はまだ少なかった。ジャーナリストでは朝日新聞の記者二名が訪/れ、文章を発表したくらいのもので、まだまだ幻想性が残っていた。

 この文庫版の「後記」は、北杜夫全集11『どくとるマンボウ航海記・南太平洋ひるね旅』(一九七六年一一月二五日 発行・一九八四年 九 月一〇日 三刷・定価一二〇〇円・新潮社・322頁・四六判上製本)135~251頁に収録された「南太平洋ひるね旅」251頁に(一九七六年附記)も含めて再録されていますが、冒頭は次のようになっています。251頁上段2~6行め、

 この本は、一九六一年十二月から翌年二月にかけての旅/行記であるが、当時、もちろんハワイは除いて、南太平洋/の島々を旅した日本人はまだ少なかった。ジャーナリスト/では朝日新聞の記者二名が訪れ、文章を発表したくらいの/もので、まだまだ幻想性が残っていた。


 すなわち、刊本についての情報が削除されておるのです*1が、この辺りのことは別に、「第11巻付録」の「北杜夫全集月報3」(昭和51年11月・新潮社・8頁)1~3頁、北杜夫「創作余話 (3) 」に記述されております。
 この「創作余話」は、2014年7月13日付「北杜夫『楡家の人びと』(07)」及び2014年7月28日付「北杜夫『楡家の人びと』(08)」に参照したことがあるのですが、次の本に、刊行順ではなく巻順に収録されていることには気付いておりませんでした。
北杜夫『見知らぬ国へ』二〇一二年一〇月二〇日発行・定価1500円・新潮社・218頁・四六判上製本

見知らぬ国へ

見知らぬ国へ

見知らぬ国へ (新潮文庫)

見知らぬ国へ (新潮文庫)

  • 作者:北 杜夫
  • 発売日: 2015/10/28
  • メディア: 文庫
 文庫版は未見。――この本は北氏逝去1年後に、雑誌・新聞等に発表した単行本未収録の文章を集めて(1篇のみ未発表)、9~71頁「書棚の記憶」11篇、73~110頁「懐かしい人びと」7篇、111~154頁「旅と日常」12篇に分け、さらに155~218頁「創作余話 北杜夫全集』月報から」15篇を添えて1冊に纏めたものらしい。序跋類はなく1頁白紙があって次の見開きに「初出一覧」があるのみ。
 「創作余話 (3) 」は11節め、198~201頁「「どくとるマンボウ航海記」「南太平洋ひるね旅」ほか」として収録されております。ここで『南太平洋ひるね旅』に関係する箇所を見て置きたいのですが、まづ前半、「創作余話 (3) 」3頁上段8行め~下段2行め(改行位置「/」)、『見知らぬ国へ』200頁15行め~201頁6行め(改行位置「|」)を抜いて置きましょう。

「南太平洋ひるね旅」は、そのころ新潮社に「ポケッ/ト・ライブラリー」という小型本のシリ|ーズがあり、/その叢書の一冊として、当時ほとんど日本人旅行者の/行かなかった南太平洋の|島々の旅行記を書かないかと/頼まれたものである。飛行機代、旅費は新潮社が負担/し、その代|り初版五万部まで印税なしという条件であ/った。【200】
 昭和三十六年十二月五日に発ち、翌年一月二十八日/に帰国した。その間のメモは手帳のほか|に小型大学ノ/ート一冊半で、帰国して間もなく書下ろしを開始し、/六月には出版された。ただ、|その後「ポケット・ライ/ブラリー」がなくなり、別種の形で本になっている。
 当時は、各島の入国ビザを取るのもヤッカイであっ/た。フランス大使館へ行くと、いかにも|植民地帰りみ/たいな日本人が、ニューカレドニアのことを、「ヌー/【上段】ベル・カレドニアか」など|と言っていたことが記憶に/残っている。なかんずくフィジーがきびしかった。

 初版と新装版は未見。「ポケット・ライブラリ」は新書判で、昭和36年(1961)から昭和40年(1965)まで68冊刊行されました。「別種の形」は新装版と、文庫版です。(以下続稿)

*1:この他に異同は、下段3行め、下詰めで小さく「(一九七三年)」とあることとその次に1行分の空白を挟まないこと、相場が文庫版228頁7~8行め「フィジー・ドル(三/七〇円)、‥‥」のように示されていたのが、下段11~12行め「フィ/ジー・ドル=三七〇円、‥‥」と等号を使っていること、最後の「著者」がなくなっていること。