瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

文藝別冊「芥川龍之介」没後九十年 不滅の文豪(1)

松田奈緒子「私の好きな芥川龍之介」(1)
 題は『えへん、龍之介。』でも良かったのだが、『えへん、龍之介。』を研究し得るほどに私は芥川龍之介に嵌まれていないので、11月7日付「芥川龍之介旧居跡(07)」に取り上げた「KAWADE 夢ムック」の方を題にした。今回取り上げる、松田氏のインタビュー以外にも、気になるところなきにしも非ずだからである。
 この雑誌については、11月9日付「芥川龍之介旧居跡(08)」に巻頭カラー頁を取り上げた。続いて1頁(頁付なし)中扉があって、2頁(頁付なし)がインタビュー「私の好きな芥川龍之介」の扉である。3~13頁に2段組、1段20行、1行25字。2字下げゴシック体でやや小さく「――」で始まるインタビュアーの問に、「松田」が答え、また1行分空けて問、と云う形式で34問34答。3行取りゴシック体でやや大きく見出しがあり、3頁上段1行め「芥川との出会い」問答1~3、4頁下段1行め「芥川と大正の作家たち」問答4~9、6頁下段1行め「お薦めの芥川作品「歯車」」問答10~13、8頁上段9行め「芥川を漫画にする」問答14~26、11頁下段8行め「ラストシーンの描き方」問答27~34。13頁左5行分余白、上段13行めの次1行分は松田氏の答え33の次の1行空け、下段は松田氏の答え34が13行めまでで、1行分空けて下寄せで小さく「(二〇一七年七月三一日、インタビュー・構成/山本文子[桜雲社])」とある。
 『えへん、龍之介。』がどのくらいヒットしたのか不明だが、私が最近図書館の「新しく入った本」の棚で見た、11月5日付「芥川龍之介旧居跡(05)」に取り上げた『えへん、龍之介。』の第4刷は、丁度5年前の発行なのである。もちろん本の流通に関しては、最新の増刷のみが出回っている訳ではないようだから、その後の増刷もあったかも知れぬが、その後ヒットした『重版出来!』とは版元が違い『重版出来!』絡みの宣伝が出来ないから(書店員が『重版出来!』にあったように、工夫してやっているかも知れぬが)どうも『えへん、龍之介。』は左程話題になっていないようなのだ。講談社が『えへん、龍之介。』を推しても売れるのは1冊(カバー裏表紙折返しにあるものを足しても6冊)なのだから、結局『重版出来!』の宣伝みたいになってしまう。一方、小学館には『えへん、龍之介。』を推す理由がない。しかし河出書房新社「文藝別冊」としては、ヒットした『重版出来!』の作者が、芥川龍之介の漫画を書いていた、と云う事実は、確かに売りになる。
 そんな訳で、巻頭企画に引っ張り出された松田氏であるが、現在芥川龍之介に取り組んでいる訳ではないので、ごく淡々と、過去を振り返って、答えている。
 少々意外と云うか、却って腑に落ちたような気がするのは、インタビュアーの問1、3頁上段2~4行め、

――松田さんは芥川龍之介の人生を題材にした『えへん、龍之/介。』を描かれるなど、芥川をお好きなことで知られています/が、学生時代から好きだったのですか?

に対して、5~11行め、

松田 いえ、特にそういうわけではありませんでした。/高校一年生くらいのときに教科書に載っていた「羅生/門」を読んだのですが、このとき「こんな駄作は読んだ/ことがない」というようなことを感想文で書いたくらい/です。当時ツイッターがなくて本当によかったと思いま/す。そんなことを呟いていたら生き恥をさらすところで/した(笑)。・・・・

と答えていることである。まぁ twitter があったとしても、松田氏に限らず自分の理解出来ない教材に文句を言う高校生など五万といるので、別に生き恥にはならないと思います。と、一応突っ込んで置こう。
 私は2011年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など」等に表明(?)したように、20代までの大事な時期を、有名作家の作品に親しまずに過ごしてしまったのだけれども、新潮文庫1806『蜘蛛の糸杜子春』は父の書棚にあって中学のときに読んでいたから、10代の時点では松田氏よりも芥川には親しんでいた。そして芥川と10代女子と云うと、8月30日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(09)」の余談の最後に書いた、中学か高校の国語便覧に載っていた、短大で芥川を研究したかったのに文学部に進学させてもらえない、痛恨の思いを吐露した作文を思い出してしまうので、松田氏の入り方が普通(?)とは異なっている、と云うことに注意させられたのである。(以下続稿)