瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介旧居跡(08)

・文藝別冊「芥川龍之介」没後九十年 不滅の文豪(2)
 11月6日付(06)に見た、松田奈緒子『えへん、龍之介。』巻末の「田端取材記」に、185頁「田端文士村記念館」を恐らく16年振りに見て、以前と「同じ感想」を抱いた、との記述があることに触れて、その感想の内容には(誤字に突っ込みを入れただけで)及んでいなかった。2コマめに浮かない表情の松田氏の脇に大きく「第三セクター」とあって、3コマめ「展示のショボさでいえば 山梨県立文学館も すごかったわ。」として、複製なのに、手書きの心内語(ケースに入れる必要が…?)と突っ込みを入れているのである。しかし複製でも安くはないし、破損・汚損された場合、厄介なので、やはりケースに入れないといけないだろう。
 これに奮起した(?)のか、田端文士村記念館は目玉となる展示品を拵えるのである。それが11月7日付(07)に見た本冊の表紙、左下隅に「◉グラビア/「芥川龍之介/ 田端の家復元模型」の世界」と紹介されている、芥川龍之介旧居跡に建っていた旧居そのものの復元模型である。
 すなわち、本冊唯一のカラーのグラビアページ(前付頁)、頁左上に横組み丸ゴシック体で「芥川龍之介田端の家復元模型」の世界」とあって、下にごく小さく「(解説・図版提供 田端文士村記念館)」とある。その右側の明朝体横組みの紹介文*1には、

芥川龍之介が青年時代から晩年までのほとんどを/過ごした田端の家。2015年(平成27)、田端文士村/記念館リニューアルオープンに伴い、「芥川龍之介/田端の家復元模型」が縮尺30分の1で制作されまし/た。現存する家の測量図をもとに、龍之介や家族、/訪れた文士や芸術家などの家にまつわる証言、さ/らに遺品・写真・映像など、かつてこの家に実際/に触れた人やもののみを参考として、当/時の生活振りが細部にわたっ/て表現されています。

として、まさに細部を紹介してある。
 頁中央の「門から望んだ全景。面積は約193坪」を見るに、やはり11月2日付(02)に注意したように、路地の奥の吉野朔実の「友人のM・R子宅」も芥川龍之介旧居跡の一画で、頁上の通りの方面から俯瞰した全景と、中右にある「田端の家 間取り」を合わせ見るに、吉野氏の「友人・・・・宅」が芥川龍之介旧居の台所・湯殿・厠・茶の間のあった辺りで、居間や納戸辺りまで含まれるかも知れない。
 そうすると、11月2日付(02)にて参照した、「東京紅團」の「芥川龍之介を巡る」第二回目「田端を歩く」(初版2001年7月7日・二版2003年5月4日)に写真がリンクされている、2001年の段階では存していた「戦災で焼けなかった台所へ通じていた通用門」は、まさに吉野氏の「友人・・・・宅」の門であったらしいのである*2芥川龍之介在世当時のものかどうかは分からないが、とにかく芥川家が生活していた時点で存在していた門を潜って、しかしそれと知らずに、芥川家のかつての茶の間辺りで友人と、11月4日付(04)に見たように「紅茶の出がらし」で「畑が出来るほど飲んでしま」うくらい、話に興じていた、とすると、いよいよ感慨深いものがあるような気がして来るのである*3。(以下続稿)

*1:右詰め。

*2:11月15日追記】「東京紅團」には「・・・・通用門は、3軒に分割された一軒でまだ残されています。」とあるのだが、11月14日付(13)に述べたように、Saxon 氏の動画を見る限りでは「芥川龍之介旧居跡」の3軒には見当たらないようである。どこに保存されていたのであろうか。

*3:11月15日追記】通用門の由来や所在はともかく、吉野朔実が潜ったと云う想像は誤りであった。