瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森鴎外『雁』の年齢など

 私はどうも、大家の作品というものに食指が動かなかった。変人を以て任じていたので、そんな当り前のことは常人に任せて置いて、敢えて手に取るに及ばない、と決めつけていたのである。しかしながら、ここ数年、ちょっと因縁があって、鴎外をぼちぼち読んでいる。面白い。もっと早く読んでおけば良かった、とも思うが、青臭かった自分が面白いと思ったかどうか、疑問でもある。
 さて、『雁』である。「大正四年五月十五日發行」の籾山書店版の復刻で読んだ。「ほるぷ」から発売されていた「新選 名著復刻全集 近代文学館」というシリーズで、昭和49年12月1日発行。本字が読めれば復刻の方が読み易いし、雰囲気も出る。この初版本は近代デジタルライブラリーで閲覧可能。本文は青空文庫でも読める。
 感想を書こうとは思わない。ただ、私はどうも登場人物の年齢などを確認しないと済まないタチなので、ここに整理してみたい。
「古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云ふことを記憶してゐる。」(三頁2〜3行目)というのが書き出しで、明治13年(1880)と限定されている。
 お玉の家族の年齢については、「陸」章のお玉の父の述懐(四九10〜五二8)によって判明する。
お玉
「お玉も来年は二十になるし」(五二5)もちろん数えである。「世間は物騒な最中で、井伊様がお殺されなすつてから二年目、生麦で西洋人が斬られたと云ふ年であつた。」(五〇8〜9)とある。桜田門外の変安政七年(万延元年1860)三月三日、生麦事件文久二年(1862)。作者と同年である。
お玉の父
「お玉が生れた時、わたしはもう四十五で」(五一4)とあり、文政元年(1818)生と判明する。作中たびたび「爺いさん」と呼ばれているが、明治13年には六十三歳である。
お玉の母
「女房が三十を越しての初産でお玉を生んで置いて、とう/\それが病附で亡くなつた。貰乳をして育ててゐると、やつと四月ばかりになつた時」(五〇4〜6)とあり、お玉が生まれて間もなく、文久二年(1862)のうちに没している。生年は天保元年(1830)頃ということになろう。
末造
「末造は小使になつた時三十を越してゐたから、貧乏世帯ながら、妻もあれば子もあつたのである。」(二八6〜7)とあるのが末造の年齢についての手掛かりとなる。その「小使になつた時」とは、以下の記述を並べてみることで大体の見当は付けられる。「まだ大学医学部が下谷にある時の事であつた。」(二五5)「寄宿舎には小使がゐた。」(二六5)「この小使の一人に末造と云ふのがゐた。」(二七1)「学校が下谷から本郷に遷る頃には、もう末造は小使ではなかつた。」(二八3〜4)
「大学医学部が下谷にあ」ったのは、現在も書店に並んでいる新潮文庫岩波文庫の注には何故か指摘がない*1が『森 鴎外集I(日本近代文学大系11)』(昭和49年9月30日初版発行/平成6年12月15日5版発行、角川書店)の三好行雄による注(112頁一、109頁一〇)補注七五(440頁)などに『東京大学医学部百年史』を参照して明治9年(1876)11月から12月にかけて本郷に移転したとする。「大学医学部」の発祥は幕末に溯るが、「大学」との呼称が発生したのは明治二年(1869)十二月である。一応それ以降に「小使になつた」と見ておけば良いであろう。明治13年の時点で子供はまだあまり大きくないようなので、生年は天保十一年(1840)辺りと見ておけば良かろうか。子供が明治二年生れ、そして明治三年(1870)三十一歳で小使いになったと仮定してみると、明治13年現在子供は十二歳(満10〜11歳)、末造は四十一歳である。末造の年齢は差し当たり四十過ぎと見て置けば大過ないだろう。維新前に何をしていたかは分からない。武家に奉公でもしていたのであったか。
 ところで、大学が「本郷に遷る頃」には末造は小使いを辞めて高利貸し専業になっているのだが、それは明治9年(1876)という見当になる。お玉を「大学へ通勤」(二九1)途上に見て「十六七」(二九7)と知るのはそれ以前だが、お玉は明治13年に十九歳だから、明治9年には十五歳である。しかし、年齢設定上で気になるのはこのくらいであろうか。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 フジテレビの深夜番組「文學ト云フ事」(1994)では井出薫がお玉を演じていたが、「貳」章に「鼻の高い、細長い、稍寂しい顔が、どこの加減か額から頬に掛けて少し扁たいやうな感じをさせる」(一七8〜10)また「拾」章に「大きい目を末造の顔に注いだ。昔話の神秘は知らず、余り大した秘密なんぞをしまつて置かれさうな目ではない。」(九六7〜9)など、合っているのではないか。豊田四郎監督の映画(1953)の高峰秀子よりは適役であろう。映画版は抜粋がyoutubeに上がっている(全編未見)。
 末造は、「文學ト云フ事」では桜金造だった。「漆」章に「色の浅黒い、鋭い目に愛敬のある末造が、上品な、目立たぬ好みの仕度をしてゐる」(六二1〜2)というのに比較すると、愛嬌がありすぎたようである。尤も、映画の東野英治郎では愛嬌がなさすぎる。*2
 ところで、この番組の愛好者が作ったHP「「文學ト云フ事」のページ」の「第5回 森鴎外『雁』」に

岡田が帽子を取ってお玉に挨拶する(帽子を取って挨拶する袴田吉彦の演技に対して、放送終了後某大学の文学部教授よりクレームがあったそうだ。「あの当時、男が女に挨拶をするときには帽子を脱がん」とのこと)

とある*3のだが、事実とすれば滑稽である。「貳」章に「岡田は次第に「窓の女」に親しくなつて、二週間も立つた頃であつたか、或る夕方例の窓の前を通る時、無意識に帽を脱いで礼をした。」(二〇10〜二一2)また「貳拾」章に「そこへ丁度岡田が通り掛かつて、帽を脱いで会釈をした。」(二二二1)とあるではないか。どうも、勝手な思い込みで堂々と難癖を付ける輩は少なくない。

*1:1月5日追記】「新潮文庫」については1月5日付「森鴎外『雁』の文庫本(1)」参照。

*2:2012年8月26日追記】投稿時にここに上記「映画版の抜粋」を貼って置いたのだが、その後削除されてしまったため、ここも削除して置いた。【2015年1月1日追記】映画版はまだ見ていないが2015年1月1日付(2)に、見るための準備として主要配役について年齢を確認して置いた。

*3:2月19日追記】本文中にリンクを貼付。なお、当該HPは現在移転中とのことで、新しいページは次の通り。「文學ト云フ事」‐#5 森鴎外『雁』。上の引用箇所は少し書き換えられている。【2017年12月18日追記】「新しいページ」への「移転」は途中で滞り、結局「新しいページ」がなくなってしまった。上記「引用箇所」の書き換えも、今となっては確認出来ない。――リンクは、しばらくそのままにして置く。