瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(21)

・『現代民話考』の青南国民学校(2)
 昨日の続きで『現代民話考』の「子どもたちの銃後」に見える戦時下の青南国民学校(青南小学校)についての、田口氏の同級生西原(大村)煌子の回答を本書と照らし合わせながら確認して置こう。
 前回確認したように3つの節に見えるのだが、恐らくは1枚の葉書(もしくは書簡1通)に纏めて書いてあったのを、『現代民話考』の分類案に沿って分割したものである。本文にも省略や要約*1がなされている可能性が高い。従って当初の報告を再現するのは難しい。
【1】「五 旗をふり慰問袋をつくって」では、冒頭、単行本296頁12行め「○東京都港区。*2」文庫版348頁10行め「*東京都港区。」とあって、続けて単行本15行め途中までを抜いて置こう。改行位置「/」で示した。文庫版は10~13行めで改行位置は「|」で示した。

‥‥。五年生から国民学校になった。旧赤坂区立(現、港区)青南国民学校|で、地域的にも帝都のどまんなかだったためか、天皇の各行幸の時、満州国皇帝、|ビルマのバーモ首相、/国名不明・ワラワン殿下等の来日の時など、国旗(小)を持|たされ、沿道で熱烈歓迎をさせら/れた。‥‥


 昭和16年度から国民学校になっているはずだから、昭和6年度生の田口氏の同期生大村氏も、国民学校に変わったのは4年生からのはずである。資料に頼(り過ぎ)ると記憶を捻じ曲げてしまう恐れがあるが、記憶のみに頼るのも危ない。しかしこれも、私が本書を読んでいたから気付いたので『現代民話考』だけでは訂正のしようがなかった。だからやはり、ある程度個人情報も添えてもらわないと、安心して使えないと思うのである。
 しかし「帝都のどまんなか」とは如何にも大雑把な言い方で、やはり青山が明治神宮の参道である表参道の起点に位置していたからであろう。
 満州国皇帝については本書第二章 昭和戦前「青山」の街・人・暮らし【42】小旗を振ってラス卜エンペラーを熱烈歓迎に、日記を引用して以下のように述べている。128頁11行め~129頁3行め、

 同じ六月の三十日、日曜日なのに私は学校へ行っている。

 今日は日曜日だが学校へ行きます。さ(そ)うして満洲国皇帝陛下をおむかへ(え)に行く/のです。私は満洲国皇帝陛下のおかほ(お)はよく見えました。【128】

 当時、満洲国皇帝陛下となっていたラストエンペラー溥儀は、二六〇〇年祝賀のために来日/していた。私が「おかほはよく見え」たと書いた満洲国皇帝はまだ若く、黒塗りの車の窓のな/かで、真正面を向いたままの眼鏡の横顔だった。

と印象を付け加えている。
 この節の後半、129頁4~14行めは「公開されている外交文書」を参照して、昭和15年(1940)6月30日の溥儀(1906.2.7~1967.10.17)の日程を確認し、小旗を持ってお迎えした場所を推測している。284頁「〈参考文献〉」を見るに、11点めに「『外国元首並皇族本邦訪問関係雑件満州国の部 満州国皇帝二千六百年慶祝ノ為御来朝一件 一、二』 外交資料館」が見える。外交資料館は外交史料館が正しい。
・外務省 編纂『日本外交文書』昭和期Ⅲ 第三巻(平成二十六年十月十七日印刷・平成二十六年十月二十四日発行・外務省)

日本外交文書 昭和期III 第3巻: 昭和十二-十六年 移民問題・雑件

日本外交文書 昭和期III 第3巻: 昭和十二-十六年 移民問題・雑件

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 白峰社
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本
 九「雑 件」の10「皇紀二千六百年祝賀のための満州国皇帝訪日」に「L.1.3.0.2-6-2「外国元首並皇族本邦訪問関係雑件 満州国ノ部 満州国皇帝二千六百年慶祝ノタメ御来朝一件」第一、二巻」のごく一部が収録されているが、訪日中の日程を記した文書は収録されていない。(以下続稿)

*1:(しばしば不適当な)

*2:ルビ「みなと」。