瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(283)

五木寛之の赤マント(11)
 昨日の続き。
 どうも、五木氏はこの「記憶の曖昧さについて」を、曖昧な記憶に頼りながら書いているらしい。そのため、過去に執筆したものとの齟齬が生じている、まさに「記憶は曖昧なのである。
 2018年6月20日連載10434回 記憶の曖昧さについて <3>」は、

(昨日のつづき)
 小学校に入学するあたりから、記憶はかなりはっきりしてくる。
 ソウル(当時の京城)に移ってからは、南山という高台の中腹の官舎に住んだ。
 
 父親が南大門小学校という学校に移ったためだ。南大門小学校については、ちょっとした思い出がある。

との書き出しで、このちょっとした思い出が、梶山季之と初めて会ったときの会話なのである。互いに京城にいたことが話題になり、梶山氏が、

「ぼくは南大門小学校だったんだ」
 と、ちょっと得意そうな表情をした。南大門小学校は、京城での名門校だったのである。
「南大門なら、父が教師をしていました」

と五木氏が言うと、梶山氏は名前を尋ねたが、五木氏の父のことは記憶していなかった、と云う、確かに「ちょっとした」挿話なのだが、これに続いて、

 私は京城で小学校に入学したのだが、父の勤めている学校ではなく、近所のミサカ小学校という学校に入学した。ミサカが「御坂」だったのか「三坂」だったのか、いまは記憶がはっきりしない。

と述べている。これは入学年が怪しかったが10月17日付(279)に引いた「朗読小屋 浅野川倶楽部」HP(高輪眞知子代表)の「五木 寛之 年譜」に合致する。「ミサカ小学校」は三坂小学校が正しい。――或いは、10月19日付(281)に引いた五木寛之『人生の目的』の5章め2節め「学校の絆」にあった、京城で「二度ほど転校したような記憶」に従えば、三坂小学校に入学して、それから転校して(橋本健午梶山季之の「<略年譜>」にあったように)南大門小学校に在籍した可能性も考えられるのだが、この梶山氏との会話の回想で、自分も南大門小学校に通ったことがあると言っていないことが気になる。京城での転校のことは、この「記憶の曖昧さについて」にも五木寛之『わが人生の歌がたり』第一部『昭和の哀歓』にも出て来ないのだが、転校していたとしても南大門小学校ではなかったのだろう。――いづれにせよ、三坂小学校や、梶山氏との会話のことは、既に書いたものがあるはずで、もうしばらく図書館廻りの折に、五木氏の著書に気を付けて、眺めて置くこととしよう。
 それから、漢江で冬はスケートに熱中したこと、京城のステーションホテルの洋食を回想している。川でスケートをしたことは『人生の目的』では平壌大同江、『昭和の哀歓』では京城の漢江のこととして回想されているが、どちらの川でも可能だったのなら齟齬のように扱うべきではないのだろう。
 2018年6月21日「連載10435回 記憶の曖昧さについて <4>」は、

(昨日のつづき)
 こうして幼児期から小学校入学までの頃のことを思い返しても、やはり曖昧なところが多く残る。
 たとえば、それが何年で何月頃のことであったか、というような点である。

との書き出しで、いえ、それ以前に、過去の著書と齟齬を来していますよ、と突っ込みたいところなのだが「記憶の曖昧さ」がテーマだから、これで良いのかも知れない。しかし、こんな風に異説を量産されると後人が確認しづらくなるから、五木氏には是非とも、きちんと資料を揃え、これまでの記述を突き合わせた上で、この辺りの記録を残していただきたいと思うのである、
 それはともかく、両親から「思い出話」を聞いて置かなかったことを「しばしば後悔する」として、母の若い頃の写真や、父の剣道の腕前など、直接両親からは聞かなかった事柄に触れ、

 私が生まれたのは1932年(昭7)である。その前年、満州事変がおきて、私の誕生の年には満州国が建国された。同じ年に五・一五事件がおき、血盟団事件がおこって、前蔵相と三井財閥のリーダーが暗殺された。
 もちろん、生まれた当時の記憶は、まったくない。ただ、南京陥落の大祝賀会の騒ぎは、記憶に残っている。街に花電車が走り、提灯行列が延々と続き、花火があがり、人々が歓呼の声をあげて街中をねり歩いていた。
 その南京陥落は、1937年(昭12)のことである。その年の夏(7月17日)に北支事変という日中両軍の衝突があった。それが口火となり戦争が始まる。私は5歳だったはずだ。


と、前回見た「記憶の曖昧さについて <2>」に述べてあった花電車の記憶を、より具体的に述べている。しかしながら私はこれを、もっと後年のものではないか、と疑っている。
 2018年6月22日「連載10436回 記憶の曖昧さについて <5>」は、平壌に移ってからの、敗戦以前のことで、記憶が曖昧でないだけ、目新しい内容はないようである。(以下続稿)